人間の意識に潜在的に憑依している生命の本質部分。
源の生命の性質、大我としての記憶。
人間ならではの摩擦世界の魅力や、
不調和的な遊びのプロセスを満喫するために、
その性質や記憶を封じ込めて忘れ去った。
人が普段認識している自己の姿、自我意識は、
潜在的に憑依している源の生命が不調和や摩擦の遊びを
可能にするために利用している道具扱い。
たとえ自我意識による反応や可能性しか信じられないとしても、
それは世に実存している命でも、世界でもない。
存在の時の一瞬一瞬が満悦の世界であること、
人間ならではの摩擦世界の体験のプロセスそのものが目的の一つであること、
改めるべき要素は何一つない世界として構築されていること。
封じ込めて忘れ去った生命の本質部分の記憶や性質を
取り戻していくにつれて、それらのことを思い出す。
閉ざすことにした源の生命の性質、
大我としての記憶が開かれていく時、
他者の導きや答えを必要とせず、
ご自身で解脱できる自由と自立が再度蘇る。
この時、元々の源の生命の世界に立ち返り、
無限の調和に満ちた平和や楽園の時空間へ帰還していく。
(世界平和も訪れるでしょう。)
ただ、人間ならではの摩擦世界の体験のプロセスが主な目的の一つなので、
そういった平和や楽園は地球では、おまけに過ぎない。
存分に摩擦遊びの魅力をお楽しみ下さい☆