道徳心、習性 | Eden

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時に理不尽でも尊いもの、それが人生。

命にとっての世界を生きていく源を湧き起こしてあげられるような存在として在ることを心掛けています。

調和や良い人などの道徳心の影響を受け続けているのは、


他者のためというより、自分自身の平安のためでもあるのだろう。




加害者や被害者の想いからの防衛。




元々は事前に希望したストーリーを体験するための


完全な場所、完全な命として自然に機能し合うシステムが


組み込まれている地球アトラクション。




迷惑をかけること、迷惑を受けると感じることも、


そのストーリーを遊ぶために欠かせない要素であり、


完全に消滅させるべき現象でもなく、完全に消失させることはできない。




道徳心を持って生きることを心掛けても、


迷惑をかける体験や迷惑を受ける体験は不可避。




そういう視点で見ると、道徳心に影響されて、


自身が傷つくことから身を守る習慣に縛られるのは、


自我人格にとっては報われない疲弊する生き方、息苦しい生き方。




人は道徳心、お金、その他の分野でも、


起きたら不快になる現象や避けたい痛みと直面しないようにするための


バリアーを作ることにエネルギーを費やす習性から、


なかなか自由になれない傾向を持っている。




事前のセーフティネットやバリアーが全く無い状態で、


もうどうなっても良いから起きてくる感覚のままに解放的に生きて、


それでも絶対に大丈夫という絶対的な信頼感の中に


存在していたいという想いが伝わってくる印象。




目に見えない形でのそのような信頼と安全は最初から


用意されているようだが、こんな話を耳にしても、


そんな生き方にすぐに踏み出す人はほとんどいないだろう。




自我の人格の方が大乱闘を起こして、ありとあらゆる


理由付けや忠告を煩く持ってきて、黙ることをしない。




自我人格の影響の色に染まっていると、


どれだけ勇気を振り絞っても踏み込むことは大変困難。




ご両親や家族とか、親しい人達も反対したり、


引き止めたり、許さない反応を示してくるケースが多いので、


その圧力に飲み込まれるのが自然。




しかも前述の絶対的な信頼の中で生きなくても、


充実した人生を送ることはできると思うので、


無理してする必要性は全くない。




ただ、不安や恐怖に囚われていない絶対的な安心と信頼と喜びの


連鎖の世界を体感するには避けて通れない道。