探求の終わり | Eden

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時に理不尽でも尊いもの、それが人生。

命にとっての世界を生きていく源を湧き起こしてあげられるような存在として在ることを心掛けています。

現代では自我人格を主役として扱い、


自我人格としての想いを自己として認識する傾向を持ち、


その自己に主導権が与えられていると思って


生きている命が大半を占めているようです。




目にする情報、耳にする話、


その多くが自我人格の性質に向けられた、


自我人格が心地良くなるための内容でしょう。




健康、お金、人間関係、恋愛、美容、仕事など、


分野を問わず、自我人格にとって何かしら都合の良い、


メリットが多いと感じられる自己実現に関する話。




好き嫌い、居心地が良い、悪い、合う、合わない、


幸、不幸、向いている、向いていないといった、


不平等的な感性を持って生きている自我人格からすると、


とても食い付きやすい内容です。




そこに行くと快適な状態が手に入る、もしくは不快な状態を解消できる


予感を感じさせられるからでしょう。




ただ、地球アトラクションの進行の権限を持っている


管理体の方の自分からすると、そのような時間の中に


目的の体験、味わいたい感覚は存在していないようです。




現在過ごしている時間の中に目的の体験や感覚が展開されており、


その存在と至福に気付いて欲しいという主張を持っています。




そして、物事の決裁権は自我人格の自分ではなく、


管理体の方の自分が所持しています。




この食い違いが地球で人間として生きる時の


生き辛さと密接に関係していると言えるでしょう。




自我人格としてのアトラクション体験を希望する場合、


自我人格としてのアトラクションを体験する過程にいる場合は、


全く関係のない事柄ですが、各々のために用意されている


真実、真理の探求を終えるためには、


どうしても価値の偏りをストップさせる必要があります。




様々な思想、人物、世界観に対しての


素晴らしい、凄く好き、絶対に良い、とても共感できる、


そういった想いと逆の否定来な判断なども含めた、


傾いている価値付け、不平等的感性を信じない。




目に映る光景、体験する現象の全てが虚像であり、


同時にそれらの全てが各々のための真理。