公共料金の一部が思ったより高く、
節約の工夫をする話を耳にした時、
有限への不安意識が自身にまだ存在していることを感じた。
その一方で、欲しいものがあったら、
すぐにどんどん買うという話も別の所から耳にしたが、
制限プレイと無制限プレイの狭間にいるような状態だろうか。
お金に関する世の傾向を観察すると、
一般的に外側に意識が向かっていて、
何らかの手段を通して築こうとする。
お金を得るための仕事を求めること、職に就くこと、
何かお金に結び付く専門的なスキルを学ぶこと、磨くこと、
取り組もうとしている事業に必要な能力を身に付けること。
そこには今は無制限の量ではなく有限の量だから、
あるいは今は豊かではなく貧しいから、
豊かになろう、無制限に自由になろうという想いが働いていることが多い。
当然全てにそのような気の動きがあるわけではないが、
今は無いと判断する要素を外側の何かで埋め合わせようとする発想。
だが、もし現時点での通帳に記載されているような表面的な数字に関係なく、
既に制限のない豊かさが流れていて、それを元から持ち合わせているとしたら、
命は一体どんな過ごし方をするようになるのか。
皆やっているから、それが現代社会を生きることだから就職活動をする。
日々生きていくために必要だから自然な意欲に反した仕事をする。
何かの目的達成に向けて必要なお金を貯めるために頑張って働く。
仕方なく売上や利益向上のための販売戦略、営業戦略を練る。
経済的に大変だから不本意な婚約や同居を続ける。
そういったお金を動機にした自然意志とは異なる時間は、
徐々に少なくなったり、無くなっていくことになるのか。
そして、資本主義社会とは異なる秩序が誕生して、
新たな秩序が確立されていくのか。
一説によれば、人間が「自分は人間である」という反応や記憶も作り物で、
心の底で制限プレイを求める確かな理由があるというだけで、
実は自然法則さえも超越できるらしい。
何も食べなくても栄養失調にならずに健康的に生きられるとか、
乗り物を一切使わずにどんな場所にも瞬間的に移動できるとか、
不老不死の状態とか、過去や未来を自由に行き来できるとか、
子供の頃から全ての分野においてプロになっているとか。
そんな反則技みたいな現象が日常になったら、
ゲームで言われるバグだらけの状態という感じで、
世界の秩序が崩壊しそうだが、もしかすると全体の喜びと平和のために
皆が気を遣って制限の中で生き合っているのかもしれない。
あなたが無限に豊かになれば、あなたの目に映る存在も豊かだから、
そうなって欲しいというようなことも言われたが、
物欲はあまりなかったりする。
でも、幼少の頃は特定の玩具が買える日を心待ちにしていたり、
お金を活かして満面の笑みを体感していた日が存在していた。
そういう意味では子供の頃の方が表面的に所持している金額は少なくても、
お金のゆとりを味わい、繋がる時間の中にいる感性が開いていたような気がする。
そのような時間に加えて、プレゼントや
お金を活かした緩みやリラックスなど、
お金のゆとりと繋がっている世界に在るように攻め続けた時、
何か自分を含めた全体に活かされる存在時間になる可能性があるだろうか。
少し興味深い現象が起こっていることを考慮して、
このまま通帳の表面的な数字に関係なく、
攻めて、攻めて、可能な限り続ける。
あっ、ちなみに、今はこんなこともやっています。
http://ameblo.jp/refrain-against/
https://its-a-wonderful-life.themedia.jp/
https://darkness-of-the-mind.themedia.jp
興味があれば、覗いてみて下さい。