大元、区別 | Eden

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時に理不尽でも尊いもの、それが人生。

命にとっての世界を生きていく源を湧き起こしてあげられるような存在として在ることを心掛けています。

過ごしたい時間、過ごしたくない時間、


望ましい経験、望ましくない経験を区別し、


善い行いをしようとする主観的な拘り。




それが迷い、葛藤、悩み、苦しみが起こる大元の原因。




その意識を持っている割合が多ければ多いほど、


何が適切で、何が不適切なのか、


何が正しくて、何が間違っているのか、


どちらを選ぶべきか、何をしたら良いのか。




そんな迷いや葛藤が無限に起こり続けて、


進むべき道が見えない苦しみや、


現実と思い描いている光景との違いによる苦しみを感じやすい。




もしそんな苦悩の中にいるとしたら、それは良いことを選び取ろうとして、


そうでないものを避けようとする善悪の意識から生きている証拠。




だが、もし世界や生の時間に対して心から温かい気持ちになれるような、


心から思い入れを持てるような慈愛と希望に満ちた時間が


常に流れ続けていると仮定した場合。




実体験している出来事は本質的には同一の性質を有する現象。


望ましい、望ましくないという区別ができるものではない。




淡々と引き入れられた出来事に身を投じていくか、


どんな過ごし方をしていても、そのような時間が常に流れていることを考慮して、


単純に現時点で最も悔いなく満たされる喜びを生きるか。




やることはそれくらいで、シンプル且つ明確。




そこでは迷いや葛藤はなく、


それだけでストレスが激減して相当楽になるだろう。




人間らしい主観や感情が表に出ると、


苦しみを感じる瞬間は起きてしまうけれど、


主観的な拘りがなければ、すぐに素直に受け入れて前へ進める。




そして、人間が主観から思い描いているイメージとは


違う形になるケースも多いと思われるが、


今、存在できている時間に心から満たされるような


光景が思いのほか早く誕生するようになる。




迷いや葛藤が無くなるだけでも現実化のスピードへの影響は絶大。




これから起こる選択は自身にとって


一番大きな変容の負担がのしかかってきそうだが、


全然想定してなかったことに関与する機会が長期的に続く予感。




人間が持つ様々な一面の中で、どの部分が表に出るのかも、


決断や環境によって大きく異なってくるが、


今度はどんな自分の姿が創られるのか。




その詳細は予想がつかないが、きっとこれまでと同様に


今よりもっと好きになれる自分と現実が生まれる。
 

 

 

 

あっ、ちなみに、今はこんなこともやっています。

http://ameblo.jp/refrain-against/

https://its-a-wonderful-life.themedia.jp/

https://darkness-of-the-mind.themedia.jp




興味があれば、覗いてみて下さい。




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