人々。
地球。
その意識の終極。
あまりにも突拍子もない話だから、
とても口にする気にはなれなかったし、
文章化しようとも思えなかった。
だけど、これまでの日々の時間の流れの中で、ふとした瞬間に
幾度となく、そのことについて意識を向けたことがあった。
そして、それが人々にとって本来最も自然且つ在るべき姿であるはずなのに、
どうしてその姿との食い違いに誰も疑問を抱かないんだろうと思ってきた。
なぜ世界を最初から終極状態で生み出さなかったんだろうと思ってきた。
最終的に行き着くと思われる人々の様子。
それは無条件の無限の豊かさが在る状態の中で、
もしくは無条件の無限の豊かさが巡り続けるような新しい社会システムの中で、
各々が心のままに更なる至福だと認識している現象へと向かい、味わうことを繰り返す。
それ以上でも以下でもない。
そんな意識だけが頭と心と身体に存在している状態。
その場所にはきっと。
幸せになるために。
豊かになるために。
自由になるために。
生活をするために。
成長するために。
成果を出すために。
人生を好転させるために。
最高の人生を築くために。
何かを解決するために。
特定の何かを学ぶ、情報を得る、向き合う、心掛ける、
実行する必要があるなんて意識は一切なく、
そういった情報発信や話題が出たり、聴いたりすることもない。
そういう動機を持って動く、生きるという思考自体が消えている。
ただただ衝動的に湧いてくる極めて純度の高い喜びのままに生きて、
各々が思い描いている更なる至福の世界観の中で過ごす。
それしかやることがない。
結果論として成果、成長、好転などが
付いてくることは多々あるんだろうけど。
人々や地球の意識の終極からすれば、
上記のような目的のための情報や話題を提供したり、
上記のような目的のために何かしよう、心掛けようという意識自体が
大きくずれているように映るのかもしれない。
その違和感は漠然と感じ取っていた。
至福の瞬間や世界観の具体的な形に関しては千差万別だから、
終極世界で他の人が何をやって、何を表現しているのかは分からないけど、
既に自分の中には抽象的な部分もあるとはいえ、
こんな生き方をするだろうというイメージが昔から記憶に刻まれている。
人々の目に映っている現実の光景。
人々が住み、体験することになる現実世界。
人々が作り出す現実世界の歴史。
それは人々が無限の意識の中から、どの意識の可能性に心を開いて、
その方向性の経験を実際に積み重ねていけるかどうかで決まると言うのなら。
そして、辿り着きたい場所が既存の世界と一致せず、
幻想的な別次元だと感じるなら。
既存の世界観、人生観。
今まで見てきた世界観、人生観。
体験してきた世界観、人生観。
それらを全て白紙にして、俯瞰的に、制限なしに、
天真爛漫に意識の選択を行おう。
きっと重要なターニングポイントへ繋いでくれるような、
別次元への動きを非常に取りやすくなり、
別次元へのサインも受け取りやすくなる。
今、ここから第2期の本格的な始動を。
あっ、ちなみに、今はこんなこともやっています。
http://ameblo.jp/refrain-against/
https://its-a-wonderful-life.themedia.jp/
https://darkness-of-the-mind.themedia.jp
興味があれば、覗いてみて下さい。


