再会と新たな喜びと | Eden

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時に理不尽でも尊いもの、それが人生。

命にとっての世界を生きていく源を湧き起こしてあげられるような存在として在ることを心掛けています。

先日、超有名高級ホテルと思われる、

 

 

ザ・リッツ・カールトン東京で主催されたグループセッション的な

 

 

内容も含まれたお茶会に参加してきた。

 

 

 


こんな自分でも皆から暖かく支えられて良いんだな。

 

 

 

 

こんな自分のままでも望む喜びと光を

 

 

自由に限界なく受け取れるんだ。

 

 


 

そんな優しさに常に守られながら生きているような感覚。

 

 

 


これからの未来では多くの光が必ず自分を

 

 

迎え入れてくれるという約束を交わしてくれたような感覚。

 

 


 

そうした溢れ出て来る喜びによって、自身の日々の

 

 

時間の中にかつてないほどの優しさが流れ始めた。

 

 


 

なぜだろうな。

 

 


 

何の変哲もない時間を過ごしている時にも

 

 

嬉し涙が出そうになる時がある。

 


 

 

主催者である、お姉ちゃんから、

 

 

『きっと未来の彰君からのギフトを受け取れたんだね。』

 

 

みたいなことをお茶会中に言われたが・・・。

 

 


 

こんなに自分の目に映る現実世界の色と現象が

 

 

綺麗に見えるようになるとは予想していなかったな。

 

 

 


実はこの再会による感動を早くシェアしたいと思っていた。

 


何度も文章化しようと試みた。


 

 

 

だけど、この新種の喜びを噛み締めたり、その喜びへと繋いでくれた

 

 

瞬間を思い返したりすることを止められなかったから、

 

 

なかなか文章を書くことに時間を使えなかった。

 

 

 

 

投稿するのが随分遅れてしまったか。

 

 

 

 

それにしても、やはり面白いな。

 

 

 

 

正直あういう人生視点や世界観について

 

 

思い浮かべたことはただの一度もなかった。

 

 


 

何より自身の心が喜びの涙を流しているような感覚を覚えた

 

 

純度の高い優しい幸せを深く感じさせてもらったし、

 

 

最も優しくて綺麗な世界への入り口に来れたような気がする。

 

 


 

この2~3年くらいは他人の活動に参加したり、

 

 

出かけたり、遊んだりすることを通して

 

 

感動や充足が湧き上がってくることはなかったから、

 

 

久しぶりに外界で印象的な時間を過ごせたと心から感じた。

 

 


 

参加費なんて全然気にならないぐらいの充実感。 

 

 


 

思い出せて。

 

 

再会できて。


 

 

 

本当に良かった。

 

 


 

彼女の情報発信を久しぶりに見た時に、

 

 

物凄い進化と変化を遂げてるんだなと思ってたから、

 

 

人柄や雰囲気が以前と別物になっていたらどうしようという

 

 

不安はあったけど、核となる素敵な印象はそのまま。


 

 

 

そういうところは約4年半という歳月を経ても全然変わっていない。

 

 

 


初めて会った時や当時の彼女のワークショップに参加した時から

 

 

抱いていた理想的なお姉ちゃんだな~とか、

 

 

こんなお姉ちゃんがいたら良かったのにな~という想い。

 

 

 


それを今回もやっぱり理屈ではなく、本能的に抱いた。
(綺麗で(色々な意味で)お洒落で優しい雰囲気も相変わらず。)

 

 

 


実際に彼女が僕のことを弟みたいに思ってくれていることや、

 

 

『お二人が凄く綺麗なお庭で遊んでいる姿が見えました。』と

 

 

他の参加者の方がお茶会中に言ってくれた時はかなり嬉しかった。

 

 

 

 

彼女は僕の進化・成長や、僕がより素晴らしくなっていたことが

 

 

とても嬉しく感じていたらしく、その見守ってくれているような

 

 

姿勢も考慮すると正に憧れのお姉ちゃんのような存在。

 

 


 

まあ、僕はその憧れの人物に対して

 

 

敬語をほとんど使わなかったという

 

 

非常に厚かましい態度を取ってたけど(笑)

 

 

 

 

彼女は僕より年上だけど、なぜか僕の中では前から

 

 

姉弟のイメージがあるし、昔から知っているような懐かしい

 

 

感覚もあるので、敬語を使って話す方が違和感が強い。

 

 

 

 

それは自分から親しくなりたいという気持ちの表れでもあるか。

 

 

 

 

やっぱり彼女は特殊な存在。

 

 

 

 

僕は人に対して純粋に親しみを持つという心理に至ることが

 

 

ほとんどなかったため(今後は分からなくなってきたが)、

 

 

最深レベルの本心では常に人に背を向けてきた。

 

 

 

 

ずっと人を舐めたような接し方ばかりしていたに違いない。
(一応直そうとした時もあった・・・ような気がするが。)

 

 

 


そんな取っ付き難い人物相手に1度や2度だけじゃなく、

 

 

数年という歳月を経ても、もっと時間を共有できる機会を作ろうという

 

 

気持ちを繰り返し感じさせることができるなんてな。

 

 

 

 

感服だ、本当に。

 

 

 

 

お姉ちゃんと関われる時間は自分の心が

 

 

泣きながら求めているような感覚があったし、

 

 

連携機会を増やして一緒に何かをやりたいとか、

 

 

信頼に足る強力な味方になろうという心情さえ抱いている。

 

 

 

 

こんな心情になれたのは初めてだ。

 

 

 

 

本当に不思議な魅力を持っている人だな。

 

 

 

 

彼女はお金やパートナーシップ、家族関係の

 

 

達人でもあるから、実に多才。

 

 

 

 

無数に存在する現実世界の中から生きる世界を選ぶという意志表示が

 

 

自身の現実に最も優先的に反映されると言うのなら。

 

 

 

 

彼女の生き方のスタイルをコピーして、彼女の世界観を

 

 

自分の目に映る現実に再現するという目的もあるし、

 

 

迷わずに彼女と思い出をたくさん共有できるようにしていこう。

 

 

 

 

それが自分はどの世界観で生きようとしているのかという意志表示であり、

 

 

自身の目的に相応しい別世界の最深部まで進むという意志でもあり、

 

 

彼女の世界観の日常的な存在になるという結果でもある。

 

 

 


これからは課題の取り組み方のスタイルを大転換させる。

 

 

 


そう、自らの力で創造するのではなく、溶け込む姿勢を重視。


 

 

 

順応すべき世界観のメインキャラクターになるために、

 

 

自分に相応しい世界の現象に身を委ねて、

 

 

その世界の住人との思い出の共有を最優先する。

 

 

 


そして、そこに住んでいる人達からの働きかけには極力応じる。

 

 

 


やることはそれだけで良い。

 

 

選択肢は一つ。

 

 

 


そういったことを真剣に意図していたら、

 

 

何とも嬉しい呼応がすぐに発生。

 

 

 

 

『彰君とはこれから先も絡みが多くなりそうだなぁ~と感じた。』

 

 

『だから、何かピンと来たことや湧いてきたものがあったら、

提案してもらえると嬉しい。』

 

 

『喜びいっぱいの世界を生きて、これからもこの世界を遊んでいこう♪』

 

 

 

 

そんなメッセージが彼女から届く。

 

 

 

 

絡みが多くなるのは僕にとって切実な望み。

 

 

自分の中から無邪気な笑顔が出てきたような気がした。

 

 

 

 

彼女の世界観に思い切り溶け込むことを意図していた僕は、

 

 

当然お姉ちゃんが体現する事象の発展を協力して、

(その具体的な形はイメージできなかったけど。)

 

 

彼女と思い出をたくさん共有できるような提案を試みる。

 

 

 

 

そうしたら、『今回のようなお話のお茶会を主催してもらったり、

 

 

 もう少し人数の多いトークライブを主催してもらって、

 

 

 彰君の一言や存在そのもので参加者の皆さんの感覚が

 

 

開いてゆくのを体験したり、その感覚を彰君の今後に

 

 

活かしてもらえたら、 とっても嬉しいなぁ~。』と言われた。

 

 

 

 

どうやら誰かのサポートをすることで、 既に生まれて来ている

 

 

新種の喜びの感覚がより深まったり、定着していくらしい。

 

 

 

 

彼女の視点では、彰君はこれから新しく出逢ってゆく喜びの感覚を

 

 

人に分かち合っていくことで、 またさらに新しい喜びの感覚に出逢って、 

 

 

分かち合いの喜びがさらに深まって、

 

 

もっと分かち合うという人生になっていくと思えたみたいだ。

 

 

 

 

つまり、彼女の世界観を通して得られる新種の喜びを

 

 

連携して分かち合おうという誘いだな。

 

 

 

 

やった!

 

 

 

 

良い調子だ。

 

 

スタートは順調。

 

 

 

 

スムーズに活動を共にするような立場を得られた。

 

 

 

 

どの世界観への扉を開けて、浸っていくのかという決意が

 

 

最も人生状態に影響を及ぼすのだから、躊躇う理由などない。

 

 

 

 

僕は喜んで彼女のお茶会の主催や、

 

 

 トークライブの主催を行う意志を伝えた。

 

 

 

 

今の自分でその場に似つかわしい魅力を

 

 

醸し出せるのかという不安をかなり感じたが、

 

 

喜びのまま在れば相手の感覚は自然と開いてゆくから、

 

 

難しいことは考えず、自然と喜べることを体験すれば良いらしい。

 

 

 

 

超単純(笑)

 

 

 

 

それに生きている時に何かに対して強く反応する時、

 

 

実はその要素は自分の中にも必ず存在しているので、

 

 

彼女の世界観に心を動かされた僕は、

 

 

彼女が持っているような力を使うことができるようだ。

 

 

 

 

ただ、まだその力を完全に呼び覚ましていない。

 

 

 

 

彼女の情報発信を見ていた時、常人離れしている、

 

 

魔女あるいは神様にしか見えない、魔法の国、有り得ない、

 

 

眩しすぎる、神がかり的な生き様だと強く感じていたが・・・。

 

 

 

 

そういう要素が自分の中に組み込まれているというのは、

 

 

なかなか衝撃的な事実だな。

 

 

 

 

なら、今後はお茶会やトークライブだけでなく、

 

 

ブログのようなSNSでも彼女との連携を通して

 

 

生まれた新たな喜びと衝動を分かち合っていくか。

 

 

 

 

しかし、こういう展開になったってことは、

 

 

彼女も自分の活動に関する内容を自身のメディアで発信する以上、

 

 

表舞台に出ることを避けられなくなりそうだな・・・。

 

 

 

 

サウンドノベルのゲームを開発し始めてからは、

 

 

エンターテイメント制作に時間を優先的に使いたいと考えてたから、

 

 

ずっとできるだけ目立たないように存在感を薄くしようとか、

 

 

もう表舞台に出ることは極力したくないなと思ってきた。

 

 

 

 

けど、この展開は明らかに直接人と関わる

 

 

機会が徐々に増えていく流れだろう。

 

 

 

 

やはり人と対話する性質は自分を構成する要素の一部なのか。

 

 

 

 

目立つ度合いが高まると、面識がない人達に

 

 

自分の存在が公開される程度も大きくなるので、

 

 

正直結構照れくさい(><;)

 

 

 

 

でも、この恥ずかしいという反応は自身のエネルギーの

 

 

滞りを起こしているものの一つだ。

 

 

 

 

そして、恐らく豊かさや自身の存在の広がりを

 

 

せき止めている要因にもなっているはず。

 

 

 

 

これは受け入れないとな。

 

 

 

 

心配しなくて良い。

 

 

 

 

既に全てが在る光溢れる世界に住むのなら、

 

 

きっと惨劇的な現象は生じない。

 

 

 

 

もう大丈夫だ。

 

 

 

 

怯えなくて良い。

 

 

警戒しなくて良い。

 

 

緊張しなくて良い。

 

 

必死にならなくて良い。

 

 

自分を守ることにエネルギーを消費し続けなくて良い。

 

 

 

 

目の前に展開される光のみの現実を楽しめば良いんだ。

 

 

 

 

この人生視点、世界観と繋がれたことが今回の最高のギフト。

 

 

 

 

・・・。

 

 

 

 

まだまだ書き切れそうにない。

 

 

予想通り長文になったか。

 

 

 

 

ここで一旦終わりにしておこうかな。

 

 

 

 

その2へ続く。

 

 

 

 

あっ、ちなみに、今はこんなこともやっています。

http://ameblo.jp/refrain-against/

https://its-a-wonderful-life.themedia.jp/

https://darkness-of-the-mind.themedia.jp
 

 

 

 

興味があれば、覗いてみて下さい。

 

 

 

 

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