この地上で二度と核兵器が使用される事がないよう祈るばかりです。
その意味で広島、長崎の被爆の事実は抑止力につながっていると思います。
ただ、43年生きてきて初めて新たな疑問が頭をもたげました。
この式典には各国から多くの要人が参列されますが、戦後最も深い外交関係にあるはずのアメリカ合衆国大統領の姿は70年経っても一度もありません。
原爆を作ったのも、落としたのも他ならぬアメリカです。
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別に私はアメリカが嫌いな訳ではないですが、この現実を疑問視する動きが見られないのは、単純に不思議でなりません。
そう思い始めると東京裁判のあり方に異を唱える人たちは右翼だという風潮を何となく身体に馴染ませていた自分に気づきます。
戦争でのルールとして互いに軍人及び軍事施設のみを攻撃するという基本があるそうです。(ハーグ陸戦条約)
原爆二発も東京大空襲も無差別爆撃でした。
原爆投下は人体実験だった事を裏付けるアメリカの公文書も一部公開されているそうです。
学校で私が教わった中では、日本が残忍な侵略をやめないから戦争を早く終結させるためにアメリカは原爆を投下したという話になっています。
しかしそれ以前にポツダム宣言は発せられていて、既に連合国側は日本の降伏を見込んでいたように思えます。
百歩譲って、早期終結の為であっても二発も投下する必要はなかったはずです。
ご存知の方も多いと思いますが、広島にはウラン型、長崎にはプルトニウム型と異なるタイプが投下されています。
これが二発となった理由であろうと考えるのは自然だと思います。
これを正当化するにはかなりの無理が必要で、戦後の歴史観が未だに揉め事の種となる大きな理由なのだろうと思います。
日本は被爆者への補償を自国で行っており、アメリカには求めていません。
サンフランシスコ講和条約があるからで、今後も求める事はないでしょう。
戦争は勝った方が正義だというのもわかりますが、もう70年も経っているのですから、純粋な慰霊として合衆国大統領にもお越しいただきたいと思います。
日本人はそれで何かを補償しろだの反米だのとはならないと思います。