7/23 | ごみばこ

ごみばこ

えのないえにっき

心臓が止まって

椎名もたさんが好きなのだが、ずっと好きなのだが素人目(この場合は耳なのかもしれんが)にも彼が天才であることはハッキリとわかる。
昨年のこの日に彼がなくなってから、マア時間が過ぎたわけだが、あまり亡くなったという感じがしない。たとえば、妖怪アパートの香月先生だったり、いぬぼくの藤原先生だったり、まだ亡くなった感じがしていない。これについて様々考えているものだが、まだ確かな解はない。

①作品は死んでいない
彼らの作品は死んでいない、というある種現実逃避的ではあるが、素敵な考え方だと思う。作品と世に呼ばれるまでに果てしない時間が掛かる、それらを経て生み出されたものは、たとい作者が亡くなってもなくならない、という考え方
②実物を見たことがない
実体として作者を確認したことがない、というリアリストな考え方。実体を確認していないので、実体が消えるという概念はない。
③死という抽象的なものがまだ理解できていない。
これは①や②に補足的に付け加えられるもの。私のなかでの自覚はある。

同じ時代に生きている、という感覚が薄いような気がする。それは当然至極当たり前ぐらいのものなのだが、椎名もた、という何かはまだ死んでないことを主張するような、所謂、心の中では生き続ける、みたいな
椎名もたさんの享年は20ということだが、学年もふたつ違うだけなのか、

天才というのは、ほんとうに天才なのだろう。私は、彼が20歳で何を悟って死んでしまったのかはわからない。だが、私の中の椎名もたは、ときどき思い出される程度には生きていくだろう。私は彼がそういうスタンスをとって欲しいように勝手に思っているので、たまにストロボラストを聞いて、こうして偶然命日を思い出したりして、しばらくは生きていこうと思う。あまり自殺する理由はまだないので。