6/20 | ごみばこ

ごみばこ

えのないえにっき

昔は極端な阿呆に憧れていて、そう生まれてこなかったことを残念に思った。
というのも裏を返すと少しだけ人を見下すようなきらいがあって、そういう風に思っていたところもあり 考えすぎるというのはやはり毒であるというのは今も昔も変わらないところだけれど、とにかく、私は昔のときから考えすぎるのが悪い癖だったしそれをわかっていた。ようは神経質で自意識過剰だった。というより現在進行形か、
だから何にも、極端に言えば何人にも影響を受けない(というと語弊を生むかもしれないが)、極端な阿呆が羨ましかった。 しかしながら最近は、私はその極端な阿呆ではないのかとも思う。考えすぎな私が考えているようなことは杞憂の上で語られる杞憂でしかないのかもしれない。楽しい時も、凹んでいる時も、考えすぎるだけでそれは私の中でのことでしかない。外には出て行かない。

…いや、全然こういうことが語りたかったわけではない。私は只の単純な馬鹿なのでないかと思うのだ。考えすぎる馬鹿である。考えすぎるという証拠がない以上、つまり私の考えが外に出て行かない以上、考えすぎる馬鹿でもない(こういうことを言いたいわけでない)。只の単純馬鹿だ。アッハッハ。アッハッハッハ。馬鹿である。私という生ものは脳みそがどろどろに溶けてるんじゃないかと思う時がある。そうではないと願うしかないのだが

思うに、かなしみを外に出す機構が上手く機能できてないのかもしれない。あんまり泣かない。だから劇薬を溜め込めるだけ溜め込んで、キャパが溢れたら自爆する。効率よく悲しみを外に出せるようにしたい。めちゃんこ泣ける映画、音楽、小説などありましたら、ぜひ教えて下さい。