6/13 | ごみばこ

ごみばこ

えのないえにっき

雨の季節ですね。
しとしとという擬音は結構好きです。特に理由はないけど
落ち着いた日々を過ごしています。いろんな人を見て、羨ましいなーというふうには思いますが、こうしてたまに自分の反省をしている?見直しているので、?
しとしとという音は好きです。
私のことを知らない人しか見ていないからきっといろんなことが言えるのでしょう。考えることができるのでしょう。
ある意味こっちは結構着飾ってないような感じがするので、こっちのほうが本当の私なのかもしれません。本当の私って何でしょう。しとしと
静かに考えます。静かに思います・
SNSというのは本当に毒だと思います。濁りも何もない、濁りはある。徳ではない。しかも意外と致死性は高い。
雨は降っています。
しとしとと





レイン

雨が降っている。しとしとと。まるでそれは僕の悲しみを洗い流すように、静かに降っていた、訳ではない。センチではあるが、悲しい訳ではない。洗い流される悲しみは現在のところない。寧ろ絶賛募集中、というくらいだ。大きな悲しみがあれば、このしょうもないセンチに引きずられることもないだろう。別にこのセンチに引きずられることは嫌いでもないのだが、好きではない。雨は余計それを募らせる。静かに、音を聞いている。言葉は失われた。僕は部屋ではよくひとりごとを話す方だが、このときだけは僕に言葉はなかった。
最近は自宅で酒を飲むことを覚えた。お気に入りのダブル・ウォール・グラスにコンビニで買ってきた純氷を入れて、ジンとトニックウォーターを注ぐのが常だった。特にお決まりの割合はなかったが、今日はジンが少しだけ濃かった。嫌いではない。強めのアルコールを口に含んで、考える。というより、考えあぐねている。僕はなぜ考えているのだろう。
よく人から大人だね、とか良識があるね、とか言われる。大人とは何だろうか、良識があるとは何だろうか、僕は考える。僕の表向きを、というより僕自身を。僕は違う。意図して顔を変えている。それは節ではなく、完全に、完璧に意識して変えているものがある。そこには差別も区別もなく、あるのは効率である。生きる上で、何かを伝える上で、一番効率的な型を取っているだけなのだ。うまいように立ち回って、うまいように転がそうとしているだけだ。その上で、彼らは僕のことを大人だね、良識があるね、という。そんなことはない、僕は思う。思うだけなのは、僕がそんなことはないと言えない顔だからだ。
雨が降っている。建物に雨粒が当る音が聞こえる。
こうして文を認めることで、何が得られるのだろうか。不毛な時間を失うだけだ。ようは遠回しに僕の寂しさを紛らわせようとしているだけなのだ。紛れることのないそれを、洗い流れることのないそれを。無駄な時間を犠牲にしてそれをほぼ増幅させているようなものだ。からんとグラスの中の氷が揺れる。静かに目を閉じる。寂しさを、誰かに伝えるとそれは何になるのだろうか。寂しさとは、誰にも言わないものなのではないだろうか。最近そんなことをずっと考えている。ガールフレンドはたまに家にやってくるが、面白くなさそうな顔をする。もうひとつのダブル・ウォール・グラスに薄めのジントニックを注いであげて、僕も同じように面白くなさそうな顔をする。ガールフレンドはいつもは一口だけ飲んで僕の家で本を読む。僕と一緒にいるのは嫌ではないようだ。それは面白いと思う。
昨日帰ってしまったので僕は一人だ、寂しさと一緒にいる。結局のところ、寂しさを嫌いになれないのだろう。一人でいることは多いが、独りではない。
梅雨の季節は、よくない。