5/9 | ごみばこ

ごみばこ

えのないえにっき

 

すこしだけしんどい話題。GWが終わるというショックを受けているからか。

激動週間だった、ような気もするしそうでなかったような気もする。

 

何かがあったとして、そのAが終わったらあれをやると思うとする。あれというのは、レトリックとしての、とかそういう面倒くさい比喩でもなければ、

取り敢えず仮にあれを、夢の様な何か・あるいは夢に届き得るための足がかり的な何かだとする。ここでは、 さらに基本的には(自分の気持ちでは)「あれ」を遂行したいと考えている、という条件も付け加えておく。

何かがあったとして、そのAが終わったらあれをやると思う。一定の期間が過ぎ、(たいていAのようなものは課題や壁、あるいは直接的ではないにしろ婉曲的に将来役に立ったりするものである)Aが終わる。すると次はBが現れるのである。すなわちあれをやる時間がないのだ。甘えたことを言うならば、

そうして、Bが終わり、Cが終わり、Dが現れて……こんな事を無限に繰り返して人生は続いてゆくのではないかと最近考えている。

保守的で素晴らしい、安定的な人生であることはほぼ間違いない。目の前にあることを何も考えずに「こなす(という言い方も気に食わないのだが)」だけであるから、初心者にも優しい設定がなされているといえよう。これを喜ばしく見るのか、悲観的に見るのかは人それぞれではあるが

その答えを出せずにいる。

難しい問題にはたいてい答えはないと思っている。そう思いたいと思っている。理系に括られる人間ではあるが、どろどろに腐った脳髄は文系の色をしているからなのかもしれない。

ふと、思春期から抜け出せずにいる自分に気付く。いつまでもこうして中高生のように中二臭い弁論を垂れて生きていくのだろうか。人は変わらないのか、成長しないのか。ウイスキーでも飲みながらブログを書きたいところだが、深夜徘徊に何時迄も缶コーラを持ち歩く辺りが最高に田舎の高校生だ。

余り考えずに生きるのが楽しいし、楽だと思ってしまう。酒を少し飲んで、思考が麻痺している時間は楽しいし、楽でいい。それでも考えてしまうのは何故だろうか。

大人なんかは、きっと夢とかそんな甘っちょろい言葉は使わないんだろう。とっくに考えすぎる期間は終わったのだ、何故僕は取り残されているのか。あるいは、それが終わっていなかったとしても、皆それを自分の中にとどめて笑っているのである。僕にはしばらくはできそうにない。大人とは一体何だ。夢とは何だ。これはきっとGWロスだ、そうに違いない。