慣れなんだろうな
慣れちゃったからあんな写真なんだろうな
新鮮さがない
緊張感がない
適当感が出ている
前の記事で「相手を知る」って書いたけど、相手を知るってのは被写体そのもののことでもあるけど、撮る対象物、んー撮る対象の物事なんだよね。アラーキーが田原桂一の写真を見て「おまえは光を撮っている、オレは光で撮っている」と云ったようにね。撮る対象が明確なんだ。
女の子を知らないと女の子の写真は撮れないでしょ
○○ちゃんを知らないと○○ちゃんは撮れないでしょ
女の子を撮っているから女の子の写真が出来るのは当たり前、でもそれはその女の子の女の子を写っているわけではなくて、その女の子の出会いが写ってるだけのこと。それも大切なことなんだけどね、錯覚してはいけないのは出会いしか写っていないってことなんだよ。何が、が写ってない。
言ってみれば、記録だね。
記録は記録として撮る。これも撮影の大切な要素。
中途半端なことしちゃったからあんな写真になっちゃたんだなあ。出雲屋敷はちゃんと撮ったのに、神社仏閣となると撮れない。前回お地蔵さんを撮ったけど、それもだめだったなあ。ポートレートのように撮ろうとしたんだけどね。
すごいね、ヘムルート・ニュートン、とかさ、ユージン・スミス。思い出したよ、あの人たちの撮影前のコンセプトの固め方。今、オリンピックやっているけどさ、あの人たちは毎日毎日練習してきたんでしょ、普通の人より才能があって、その上に練習を重ねてさ。いやー、なんでこんな年になってもまともな写真撮れないんだあ。なんか大きなものを忘れているのかあ。
下手な鉄砲も 数打てば当たる
は、信じない。
鉄砲の性能も理解して 方向も定めて 打つようにします。
出来たら弾はたくさんあった方がいい、その点デジタルはいいよね。1枚の緊張感は薄れるけど。
あー、もう反省しないぞ。

