先日逗子に向かう電車の中で昔お世話になった方の訃報を知った。何の話からか、「昨年誰が亡くなった?」と携帯で検索してその方の名前を見付けた。
井田探監督。
懐かしいなあ、お昼のお弁当のときに井田監督は納豆、僕はバナナ、それを交換してた。こんな若輩者の僕を「鍵山さん」と言ってくれた。映画制作の裏話?をよく聞かせてくれた。トイレに行ったら一箇所綺麗にして出てくる。僕が会社を辞め独立してモデルがここに集まったときにレッスンに来てもらった。その生徒は今女優をしている。何を話して頂いたのかもう忘れたけど、モデルたちといっしょに考えて井田監督用の湯飲みを買った。レッスン費も受け取らず、「僕はバスも電車もタダだから」といつもの笑顔を見せてくれた。
井田監督といっしょにいたとき撮っていた僕の写真。どうですか?今僕が撮っている写真。見てもらいたかった。でもさ、あの方は絶対に褒めてくれるんだよな。
電車の中でお世話になった方を検索した。小池要之助さん、貞永監督、・・・僕にいろいろ教えてくれた方も亡くなっていた。
まあね、良くも悪くも強烈に教えてくれたのは前の会社の社長だけどね。教えに優劣はない。どれも今の僕を形成している要因だから。さてさて、戻るよ。戻る?んーーー、まあ見ていてくれ。
奇抜?
奇抜には「風代わりで人の意表をつく」ことと、「ひときわ優れている」という意味ももっている。奇抜な写真は好きではない。でも、それは単に風代わりだけを狙っている。それは奇抜ではなく奇並。
「斜に構えて写真を撮るときれいに写る」とまた言っている。さきほどNHKに出演していた写真家だ。斜に構えるときれいか?なぜ?どうして?正面に構えた方がきれいに見えるけど。人と人が向き合うときは真っ直ぐ向き合う方がいいだろう。なぜ、斜めに構えるほうがきれいというのか。それは非日常、ふだんあまり見ない姿だからだろ?他に理由があるのなら教えて欲しい。子供の入学式?の写真をローアングルで撮る?何故、その画角?何故、そのアングル?何故、そのサイズ?何も伝わらない。ただ奇抜、奇並みに感じる。
一番写真を撮っていた学生時代はほとんどモノクロだった、仕事もプライベートも。だから僕にとってモノクロは日常だった。なんかしっくりくる。でも、最近の人が見たら非日常なんだろう。アレブレボケも僕にとっては日常で、バイト学業で夜しか撮る時間がなかった。
斜に構える。これは型を変えただけ、それでは心までは変わらない。カタチにはならない。
型はルール、作法だ。自分らしさを入れるためにはそこに霊(チ)を入れないといけない。智でもいいけど。ものを動かすってことには意味がある。それがわからなければカタチにはならない。
斜に構えることで女性らしい胸をラインを出したいのなら胸のラインが一番きれいに出る場所で撮るしそれがわかる。やさしい肩のラインを出したいのならそのようにする。もちろん、正面に構えても胸や肩のラインを綺麗に出したりもできる。要するに何が、何を綺麗に出したいのか、綺麗に思うのかがわからないと写真には写らないってことだ。美しさは探すものではなく醸し出してるものだ。
子供と会話をするときどのような位置で話す?楽しい話?叱るとき?教えるとき?諭すとき?慰めるとき?自然とアングルと距離を変える。これが正しいカメラの構え方だと思う。
昨今、嫌な親子喧嘩?虐待、殺人、そんな話しを聞くとアングルも距離も理解できないのだろうと思ってしまうがちょっと待て、「斜めに構えると何故綺麗に撮れるか?」それはね、ただ非日常的な写真に出来上がるから綺麗だと勘違いをするだけなんだよ、と教えたい。それを理解して撮るならどんどん斜に構えて撮ればいい。でもね、相手と会話をするときは真っ直ぐ正面に向いて欲しい。コントロールが定まらない球威がないカーブやホークは本番では使わないこと。真っ直ぐストレートで勝負して欲しい。
と、思う。
ひさしぶりに更新。今、jQueryを勉強しています。
http://www.kagiyamasatoshi.com/portfolio/
モニターってデジタル写真にとって印画紙のようなものだ、と以前から思っていたけどjQueryを使うもの新しい試み?かなと思ってね。
javascript(js)は僕には難しくて、flashはseoを考えると導入したくなかったね。でも、jQueryは意外と簡単でなにやらflashは下火傾向らしい。ともわれホームページを改訂しようとして出会ってしまったjQuery、ホームページ改訂はもう少し遅くなりそうです。
追記
アップして気がつきました。下の記事も同じような内容を書いていましたね。あはは、やっぱり一ヶ月ぶりに書くと以前書いたことを忘れてしまう。と、いうより同じことを一ヶ月以上やっていたんだね。一ヶ月のこの程度かよ、成長遅いぜ。





