男と女の間には写真機がある | 日刊ぷらすれっど -落書き編- presented by plusRed

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ごくごくありきたりな写真と面白味に欠ける文章でまとめてあるクソ真面目なブログです。”ぷらすれっど”は写真事務所らしい。

昨日、寿司屋でにっぽん酒を飲みべろべろになりながら”photograph”を語った。


”光の絵画”だろ。太陽の絵筆さ。あ、ゴッホの「太陽の絵筆」とは意味が違うけどね。ああ、太陽が絵筆?


”写真は光が描いた絵”


だからさ、撮り手なんか光のアシスタントに過ぎない。それが心地よい。


寿司屋を出てまだ陽が明るい御徒町を歩いた。周りの景色がハイキーなんだ。こんな経験初めて。行き交う車のナンバープレートが白とびして見えなかったほど。身体はふらふらだったけどしっかりと夏のハイキーを写真で加工するのではなく目で感じられた。


て、そうではなくて。


カメラを目の前にして人は自然な姿になるんだろうか?ってこと。


カメラを意識するか、撮り手を意識するか、それで写真は大きく変わってくるんだな。それを考えてカメラを変えたり距離を変えたり、関係を変えたり、姑息な?手段を使う。


新人のモデル?御幣があるな、んー何て表現したらいいのか??意固地なモデルがいるんんだな、スタイルの変えない、モデルって、ポーズってこんなもんだ、と決めているような。相手を感じない、周りを感じない頑固な子。風が吹いたら涼しい顔して欲しいし、日差しが眩しかったら目を細めればいい、それが目に見えないものを写真に写す方法なんだけどな。


カメラある状態は非日常なこと。ここからどう日常を写せばいいのか、たくさんの写真家が悩んだことだ。真の姿とは何だ。でもさ、全く逆の演技の姿もありなんだよな。一番いけないのがどっち着かず、なーんも考えていないこと。似非を真、真を似非と言うこと。間違っちゃあいけないよ。騙されちゃあいけないよ。もしくは気持ちよく騙されよう、気持ちよく騙さそう。


『男と女の間には写真機がある』


これは荒木経惟著のタイトル。ここに載っている全ての写真は僕と被写体の間にカメラが存在しているんです。