防水機能付きの僕の携帯、雨の日に良さを知ります。
撮り手の気持ちなんて写真では伝えられない、見る人次第。だから、写真は記号という。
あのさ、先日のブログに、安っぽいヒューマニズムをかざして…云々っていう記事を載せたけど勿論すべての写真じゃあない。ここで云わなくてもわかっていると思うけど、敢えてね。で、何故またこの事に触れたかというと説明する言葉が見つかった。それはね、たぶん撮り手は「純粋さ」を撮ったと思うんだ。知っていた?やべぇー、僕だけ気付かなかったんだ。
なんで気付いたかというと、日曜の7時半にやっているNHK「ダーウィンが来た」で、ビクーニャが同じ群れの親と外れた子を自分が産んだ子といっしょに育てるシーンがあって、その話しが田沼武能が撮った「トットちゃんが出会った子供たち」で出てくる話しと似ていて、田沼則武の撮った子供の笑顔、それは人間は素晴らしいってことではなく、何故この純粋さを忘れてしまったんだろうという問い掛けに見えたんだ。
似ているって思った話は、侵略された敵に強姦されて産んだ母親に何故育てているのか聞いたところ、当然のように神から授かったものだからと答えられ、自分の愚かさを知ったという話しだと思うけど、どーも僕の記憶が曖昧だから興味があればその本を読んで下さい。まぁ、そんな感じの言葉だったということで。
子供の純粋さ、何も子供を美化しようとしているわけではない。無邪気って言葉があるように悪いことに気付かないでやっていることもある。
でもさ、写真じゃん。一言が伝われば充分だと思う。
「純粋さ」かぁ、『星の王子様』でも同じようなこと言っていた。僕も忘れていたよ。
写真はね、お盆前かな、携帯で撮影したもの。夏の炎天下の中、力強く育っている雑草を撮ってナチュラリストを気取ってみました。
