ここ数年思っていること。
魂の輝きを取り戻したい
魂レベルの話の出来る人は限られていて、
そんな話が出来る人と話してる時は
テンションが上がってまうやろぉ〜






そんなハイテンションな日の増えた私。
そして、現実はそのテンションでは生きてはいけない・・・・
(そのテンションで過ごすと浮きまくる
)
)そもそも、
淡々と生きていくべきなのに
ハイテンションになったり、ならなかったり
フワフワしてる時点で
まだまだ未熟者なんだと思いますが


人生、色々あるよね〜



(嫌なこと・辛いこと・苦しいこと・幸せなこと・嬉しいこと・悲しいこと・恥ずかしいこと・誇らしいこと・・・)
だって、人生は修行だもん!!
私は 心の在り方を 常に探し続ける旅の様な人生を歩んでいます
日常の生活で
自分を成長させるヒントは
色んなところに散りばめられていて、
『受け入れる重要性』に気づけたならば、
そこからの人生は
より深い世界の学びの始まりです。
真理の道を歩み始めます


自分に起こっている出来事を
気付きのチャンスとして掴むのも、
気付かずにスルーするのも、
全ては自分の自由意志。
神様は強要は一切しません。
全ては己の心が選ぶ。自由。
自分の人生は全てが己の自由意志で選んだ結果で成り立つ。
お釈迦様のおっしゃる通り
自分の人生の舵は自分でとる。
全ては自分の責任である。
このお話を聞いてから1ヶ月・・・
今、魂の深いところで、
この言葉が私に語りかけてくれています。
私は困難と言うか、
自分の理想からかけ離れた世界を中々受け入れる事が出来ずに苦しみの中で生きていました。
心の葛藤に光を全く感じませんでした。
でも、
"受け入れる"
ただ この重要性に気づけただけで
心の葛藤さえも楽しめる様に変化してきたり。
光は周りに沢山ある事が分かりました。
葛藤が無くなるわけではありませんが、
葛藤することを手放し、
反省し、次に出来ることを考える様に変わって来たのです。
人生そのものが『修行』なのだ
を"理解する"のは簡単でしたが、
これを "受け入れる"
と言うのが難しくて






魂を磨くためにある
つまり、
「人生は修行のために
与えられているものなのだ」
と言う真実を知ってから
"受け入れる"事が当たり前に出来るようになったのは 7年も後の事です。
人生とは、色んな経験をする為にある
ってもんですよね

ってもんですよね
1人ひとりの魂に見合った人生を
自分の意思で歩んでいける

"受け入れる"ことが出来るようになってからは
『実践の日々』の始まりです。
この『実践の日々』で
真理を知る前には感じなかった
小さな自分 に気付きました。
真理を知る前よりも
"出来ない自分との葛藤" は増えました。
そのジレンマの日々は「苦しい」が沢山。
自分の修正点が溢れています。
修正が中々出来ないから
苦しいジレンマは続きます。
そして
自分が小さな存在であることをハッキリと

自覚します


自覚します自分の事を自分が思っているよりも
「もっと出来るはず」
と鼓舞し続けていた人生だった事に気付いたのでした。
"ありのままの自分"
を始めて理解した時だったかもしれません。
思っているよりも
自分には何の力もないのだと。
背伸びばかりして生きていたのです。
それなのに
無理をして背伸びをし続け
結局出来ない自分を嫌いになったり。
うまく振る舞えない不器用な自分と向き合えた時でした。
そんな不器用な自分を大切にするにはどうすれば良いのだろう


そんな私になぜ人生が与えられているの

そんな小さな存在の自分に気づけた時、
渡辺和子さんの言葉
'置かれた場所で咲きなさい'が
心の奥深くに響いて来ました










自分が自分の立っている場所を大切にし
"自分というもの"を持ち過ぎず
与えられている環境や人を大切にする
何よりも自分を大切にする。
自分を大切にするとは、魂を慈しむこと。
出来ない自分に対して まず愛を送り、
周りに居てくれている人にも
同じように愛を送る。
出来ていない
自分を愛することで
出来ていない
相手を愛することを知る



ただ、何も知らずに生きていただけなのに
気が付いたら養われていた競争心。
欲に惑わされたり、自分を中心に物事を考えてしまったり。
羨む心・卑屈・嫉妬・さげすみ。
大人になっていた私はそんな心が根付いていました。
知らず知らずのうちに
くもりに曇っていた私の魂は
素の輝きを見失いたくなくて
私自身に向けて ずっと叫んでいました。
曇っていってるぞ〜


このまま進んで行くともっと黒くなっちゃうぞ〜











そんな無意識の自分からのメッセージを
中々受け取れず、
魂を曇らせる事から抜け出せない私。
今の私で気づけていることは、
魂がくもりに曇っているということ。
汚れを洗いなしても、
すぐにまた汚れてしまいそうになる・・
そんな思考が自分に根付いているということ。
それに気づけた。
それだけでも今の私にとっては花丸



なんじゃないの





なんじゃないの
魂を曇らせる生き方をこれから減らしていく心がけを忘れないで行こう









曇ってしまった私の魂を清めて、
赤ちゃんの頃のような魂の輝きを少しずつ取り戻せるように、反省しながら、
変われない自分を愛して、
これ以上曇らないように励むことにします
今まで私は、
"すでに出来ている人" (=愛の人)
ばかりを意識していました。
だから苦しかったのかも




(私には難易度の高すぎる生き方を目標として居たのだと思い知ったこの数年)
出来ないことが悪いことではない。
出来ていない自分を精一杯愛そう

だって、魂は皆んな平等だから



愛の人だけが素晴らしくて、
自分のことばかり考えている人は素晴らしくないなんて、
私の誤った物差しは捨てなけらばっ









尊厳のある生き方を思い出そう









尊厳とは、
"誇り"ということ。
誇りのある生き方・・・
命を尊ぶ生き方・・・
それは魂を慈しみながら生きる日々の中にあるはず









尊ぶことって
どんな魂をも慈しむ事だよね〜
全ての魂を平等に愛することは
今の私には難しいけれど、
優劣をつけることはやめよう









どの魂も神さまは平等に愛していらっしゃるのだから・・・・・
否定より、肯定の癖を。
そして、魂を慈しむ。
それはとても尊い生き方。
誇りを取り戻す生き方。
この本には こんな風に書かれていました↓
魂を磨く、とは、魂を慈しむこと。
魂を浄化する、とは、
魂を愛すること。
頑張らなくてもいい。
頑張らなくても、魂は育つ。
自分が頑張らなくても、、周りが育ててくれます。
逆を言えば、
私の魂は、自然と周りの魂を育てるお手伝いをしている。
苦労とは人間にとって魂を育てる栄養なのです。
心から感謝するとき、
魂は磨かれる。
人に愛を与えるとき、
魂が浄化される。
そんな風に書かれていて
納得でした。(^ ^)
既に愛の人として生きている人の様には
生きれないけれど、
そんな聖人にはなれなくても
そんな人々から学ぶことを忘れないで行こう。
自分の魂を慈しみ
汚してしまった魂を浄化しながら(愛をもって生きる意識を忘れずに)
30回の生まれ変わりの旅を
たった1度きりの人生楽しもう


さぁ
どこまで魂を慈しめるかな

どこまで魂を慈しめるかな
どこまで魂を浄化出来るかな



皆さまも
真理の道の中
魂を慈しみましょ


自分を愛し、魂を浄化して、
魂を磨くための人生修行で
感謝の心
を育てましょう1人ひとりの心の平和を祈ります








