身近な同年代のイタリア人(金髪、碧眼、白人)に、紹介された、とある女性の話です。
彼の話によると、
「マリアは、お金持ちの家で養子として育って、ものすごく綺麗で、美人で、性格も凄く良い人なんだ!」
「幼少期からずっとクラシックバレエを習っていていて、アレーナディヴェローナで、バックダンサーとしてオペラにも出演したことがあるんだよ!」
「彼女は幼なじみでね、今は結婚して、子供もいるけれど、僕と小さい頃、おままごと遊びで、いつか恋人になろうねって約束もしたんだよ(●´ω`●)照」
「昔からみんなの憧れの存在で、本当に素敵な女性なんだ〜✨」
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この情報を聞いて皆さんの頭の中にはどんな姿の女性が浮かび上がりますか?
少し想像してみてください。
想像ができてから、次を読み進めてみてください。
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私の頭の中では、彼の話す彼女の姿は、勝手に、金髪、碧眼の、真っ白な肌の女性を想像していました。
その後、出会う機会があり、「彼女が、前話していた美しい女性のマリアだよ!」と紹介され、そこには二人の女性がいました。
赤ん坊を抱きかかえた同年代の黒人の女性と、金髪碧眼白人の、少しお年を召した雰囲気の女性。
それを見て、私は、当然、赤ん坊を抱きかかえている方は、ベビーシッターさんで、お年を召したように見える、美人な女性をマリアさんだと思いました。
けれど実際には、金髪碧眼の方はご家族の方で、赤ん坊を抱きかかえている、黒人の方がマリアさんだったのです。
私は衝撃を受けました。
人種差別をしているような感覚は、自分の中にはないと思っていましたが、なぜ勝手に美しい女性=金髪、碧眼、白人の女性だと勘違いしてしまったのでしょうか…
マリアさんは、とても優雅な身のこなしで、穏やかな微笑み、上品な話し方、気品に満ち溢れ、とても美しい方でした。
そして、とても丁寧で、外見だけではなく、性格も本当に優しく、美しい方でした。
けれど、もともと私の想像した「美しい」という固定概念の中に、1ミリも黒人女性が入っていなかったのです。
なんだか、私は自分をとても恥ずかしく思いました。
私は高校生の時からタイに行ったり、今現在イタリアに住んでいたりで、なんだかんだ、海外での生活も長いので、何かに対して偏見を抱くっていう事を、自分はしないタイプだと思って生きてきました。
LGBTにも理解がある方だと思っているし(友人にもいます。というか、もっと性別とか取り払って、全ての人が、個として、ただの人間として生きていけたら良いのになぁ、って常々思っています)発達障害持ちの人と昔、深くお付き合いしていたこともあるし、人種差別的な概念も、勝手に他の人より薄い方だと思っていました。
むしろ、どちらかといえば、アジア人ということで、今現在、私が人種差別される側に居るので、差別される側の気持ちに立って、物事を考えることができる、と思っていた位です。
なんておこがましいんでしょう。
知らない間に、私の中にも、人種差別の固定概念があるんだなぁということを、まざまざと思い知らされた出来事でした。
何の偏見もなく、ただ純粋に、真っ直ぐに、「マリアさんは美しい女性だ」と目をキラキラと輝かせて語った彼に、盛大な拍手を送りたいです。
肌がどんな色でも、美しいものは美しい。
そう素直に感じられる心を持ちたいなと思いました。
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P.S.
来年2022年11月にヴィッラバルトロメア劇場にて、オペラ「外套」の公演が行われる予定です!
参加ご希望の方!
詳しい内容はこちらをご覧下さい。↓
前回の『修道女アンジェリカ』の公演の実際の様子です✨(※2021年6月26日に、無観客、オンライン配信させていただいた公演です)
ご応募お考えの方は、是非参考にご覧下さいませ♡