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人間はかつてなく社会化が進んだ生物になり、高度な富の共有が進んだおかげで、かつては死ぬしかなかった人間が生き長らえる事が可能になった。
その発展は良いことであり尊いことである。
それを、単純に捉える物の言い方は、歴史と伝統への理解の無さを露呈するリスクが高い。
相反する価値の存続を賢く受け入れるめんどくさい取り組みを最初から拒否しようとする臭いがあるからだ。

『無料だから、政府やTVが嘘いうわけないから、みんなが打ってるから、反ワクは陰謀論だから』

豊かになったから『何も考えなくなった』がここにある。
『生活保護受給は怠慢のなせるわざ』にも考えの『無さ』が溢れている。
覚悟の無い人間がどれだけ好き勝手に『責任の伴わない言葉』を撒き散らしているか?
現実の光景はすぐ目の前にある。

ただ生きながら得ている(果てしなく個人的な欲求を満たすだけに退行してしまった)だけでは、人間として『生きている事』にはならない、という事を知らない人間に確実な言葉を届けて置かなければならない。
虚無主義(ニヒリズム)と無関心があたかも基本的人権の要素とする言論があったりするが、それこそ社会の『腐臭』そのものというべきだろう。

簡単な例だ。

『女将』を『おかみ』と読むのを知らず『にょしょう』と読んで笑われた人がいる。
『おまえ、そんな事も知らないのかよ』と周囲は問いつめる。本人答えていわく『学校で習ってない』…
自分が勉強しなかった事を学校のせいにして開きなおっているのだ。無知は恥ずかしいが、人として乗り越えられない事ではない。
彼はおそらく『人として乗り越える事は出来る』だろうから、『女将』を『おかみ』と読むことをちゃんと学んで、彼の仕事現場で働く事をアップデートさせる事が可能だ。

✕『自分で進んで調べて判断しない』→ 『無料だから、政府やTVが嘘いうわけないから、みんなが打ってるから、反ワクは陰謀論だから』

○『自分で進んで調べて判断する』→ 『無料だから→タダほど高いものはない、政府やTVが嘘いうわけないから→金さえ払えば誰でも口を塞ぐのは簡単、みんなが打ってるから→愚か者は自分で考えない、反ワクは陰謀論だから→世界を見たら正しいこと言ってるのは誰?』

『自分で調べて』この実践が出来る//出来ないの別れ目は劇的と言えるだろう。