ビリーブる、ってなんやろ。
例えばこの人はきっとこんなひとやー、とか
きっとこんなひとやない!とか。
そゆのって、その人とのどうこうよりも
自分との何かなきがするる。
信じるってことは勝手に一方的にするわけであり人は不変ではないことも含めて不確定且つ相手に自分の態度次第で値踏みされるわけであり流動的である。あらゆる方向からみたとしてね。
なのでさー、もし裏切られたとしても信じたのは自分の全責任でやったことなのでどうしようも仕方がないのやね。辛いけど。
それにあいてのせいやなく、自分の行動が災いして違うベクトルになったのかもしらんし。
そゆのを考えてるとさ、なんかもう山籠り一直線やよね。
だましだまされのこの世界
嘘つきばかりの世界
どうやってわたっていけばいいんだ?
ネットのなかに友達をたくさんつくって、大切な家族だけがいる箱に閉じ籠りたい。
守られたい
まさにルービックキューブやね。
たくさん傷付くとねじまがる。 それはどこまでもマーブルじょうのウネリとなり地球を4周半はするな。そうなるともう到底太刀打ちできない。

とにかく総ての事象を自分以外の何かのせいにしてはならない。
と思うのです

強いひとも弱いひともいるからさー。

何か具体的なことがあったわけではない。
ただこの季節はこんなことばっかりかんがえてしまうのだす。

ミノヤホールでうたをうたってきたよ。

木綿のハンカチーフ
なごり雪
ルージュの伝言

だいすきなうた。
いまのわたしの気持ちとリンクしてるね。
感情が入るわい

だいすきなくずちゃんと会えたうれしい。

鶴ちゃんの歌は脳髄を刺激した

くみちょーとあえなかった

みやしたさんとおはなしできなかった

げんくんが七時間も連絡つかなかったけどやはり生きてた

よかった。