(By Milky)
今日は言わずと知れたスタンリー・キューブリックの大傑作、「2001年宇宙の旅」を、大スクリーンで堪能してきました。
この映画に関しては、人それぞれ、様々な捉え方があると思います。Milkyはこの映画を一言で言うなら、「マクロコスモスとミクロコスモスの融合による進化」みたいな感じで捉えています。マクロコスモスとはもちろん、この太陽系を含む大宇宙のことであり、ミクロコスモスとは、人間ひとりひとりの中にある小宇宙のことです。人間の深層心理や無意識ってのも、探っていけば探っていくほど、宇宙のように奥が深いものではないでしょうか。
そこで私は、この映画の主要登場人物である「ボウマン隊長」と、コンピューターの「HAL9000」を、「ボウマン=人間の意識」、「HAL=人間の無意識」というような図式を、頭に浮かべながら見ていました。人間の無意識というのはある意味、集合的無意識のように、あらかじめインプットされたコンピューターのプログラムのようでもあり、また物心つかぬ幼少期に、自分の意志とは関係なく、知らず知らずのうちに身につけた、オートマティックな行動を含むものであると思うからです。
HALが故障してしまう原因はおそらく、「木星でのモノリス探査については、乗員たちには明かさぬように」上層部から指令を受けたことにより、HALの内部で矛盾が生じたからではないでしょうか。人間もやはり、そのような矛盾や葛藤をひとりで抱え込むと、病んでしまいますからね。そしてそのように傷付いた「HAL=無意識」に、「ボウマン=意識」が、その無意識という暗闇に意識の光を当てていく。HALを解体していく作業は、無意識を暴いていくというか、自分の根源を探っていく作業のように、私には思えたんですね。
そしてひととおり、ミクロコスモス内での「意識」と「無意識」の対峙が終わると、それはマクロコスモスと連動して、一人の人間の中で、「魂の進化(再生)」が起こる。「再生」とは時空を超え、生と死をも超越した混沌の中からしか生み出されえないものなのかも知れないな…なんて思いました。「午前10時の映画祭」、もっとキューブリック作品上映してよー。
ちなみにこの映画の中には、「ツァラトゥストラはかく語りき」という曲が使われていますが、ニーチェの同名の著作の中の一文が、思い出されます。“人間における偉大なところ、それはかれが橋であって、自己目的ではないということだ。人間において愛さるべきところ、それはかれが移りゆきであり、没落であるということである”
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