今年に入って何人か友だちができた。

「友だち」というのもおこがましいけど、約束はせずとも定期的に会うし、それなりに腹も割って話しているので、そう呼んでもいいかなと勝手に思っている。

きっかけは、ある喫茶店に出入りするようになったことだ。
そこで会う人と話をするうち、なんとなく打ち解けていった。
さらにそこのつながりで、人の輪が広まっていった感じだ。

性別も年齢もバラバラだけど、どこか同じような世界を生きてきた部分があって、話しをしていると不思議な共通点が見えてきたりするのが楽しい。

テレビ朝日系のドラマ「日曜の夜ぐらいは…」が終わった。
このドラマも、さまざまな事情を抱えた人たちが出会い、性別や年齢を超えて友情を育んでいく物語だ。

主人公は、岸田サチ。車椅子生活をする母と、団地に暮らす女性だ。
彼女は、母親の代理で、ラジオ番組のバスツアーに参加する。そこで出会ったのが、茨城のちくわぶ工場で働く若葉と、タクシー運転手をする翔子だった。

それぞれの事情や生きづらさを抱えた3人は、意気投合し、楽しいひとときを過ごす。
しかし、彼女たちはすぐに関係を築くことはしなかった。
「ライン交換しよう」、別れ際にそう言われたサチは答える。
「それはやめよう。最初は良くても、だんだん来なくなるの、私ダメだから。楽しかったから、このままで」

サチの言葉を聞いた2人もそれに納得し、その時限りの思い出として終わらせることにする。
彼女たちの、人生に対する諦念のようなものが感じられる。
私もなんとなくその気持はわかる。
その場の勢いで連絡先を交換したものの、結局やりとりがなくなるというようなことは、幾度も経験している。
何より、楽しい時間が終われば、また、気の遠くなるような時間を過ごすことになる“日常”が待っているのだ。
幸せな思い出は、そのままで大切にとっておいたほうがいい。

しかし、その後さまざまな偶然が重なり、3人は再会。そこにバスツアーの世話人だった青年、みね君も加わって、みんなで作るカフェの開店に向けて奔走することになる。

始まりの重苦しい設定から、物語は急展開、多少のつまずきはありながらも、確かな友情を築き上げ、新しい日常へと進む姿が描かれる。

多分、このドラマに出てくる人は、みんな少しだけ不器用なんだと思う。
自分を責めすぎてしまったり、どうしても譲れないものを持っていたり。
人との関係がうまくいかないのは、要領よく自分をごまかすことができないからだ。
でも、そんな不器用さが、どこか自分でも思い当たる部分があったりして、共感できたりもした。

もう一つ、このドラマで好感が持てたのは、変な恋愛要素がなかったことだ。
男性女性は出てくるが、あくまでも人と人との魅力でつながっていた。
もちろん、私は男なので、女性同士の友情がどんなものなのかはわからない。
でも、ここに描かれている友情は、素敵だなと思うし、憧れる。
作り物の世界であっても、それを信じたくなる力があった。

週を追う毎に物語は明るくなっていく。キラキラと世界が輝いていく。
夢物語? いいじゃない。それで。
だって一週間、全力で働いてきたんだよ。
明日からだって、ヘビーな世界で生きていくんだよ。
日曜の夜ぐらいはさ、こんな優しい物語の世界に身を委ねるのがいいよ。

最終話、無事にカフェは開店し、経営も軌道に乗る。
ラストシーン、サチは力強く自転車を漕いでいく。かつて、絶望の淵に立って、憂鬱な思いを抱えたまま走った道で、彼女は思う。「生まれ変わったとしても、私だね」と。

今の人生を肯定し、楽しむサチの姿に、心から「良かった」と思った。
実に清々しい、希望にあふれたラストだった。
本当に3ヶ月、とても気持ちの良いドラマを見せてもらったと思う。

私の方も、あいかわらずお店に通い、馴染みの人たちと他愛もない話しをして笑い合っている。
「友だち」なんて定義すること自体、あまり意味のないことかもしれない。ただ、好きなことを話して笑い合える人がいるというのはとても貴重なことなのだろう。

実際、そういう場があって、相手がいるということが、かなり嬉しく、ありがたいことなんですよ。
まあ、恥ずかしいんで、面と向かっては絶対に言わないですけどね。