私の住んでいる部屋の窓からは、近所の公園の桜を少しだけ見ることができる。
そんな、わずかに切り取られたような春の情景を、飼っている猫と一緒に眺めることが、毎年の楽しみだった。

 しかし、それももう今年はできない。猫は去年の夏に亡くなってしまった。
その猫は、10年ほど前、近所の中華料理屋の裏で鳴いているのを見つけて拾ってきた。病院に連れて行くと、生後6ヶ月ほどのメス猫とのことだった。私は彼女に「ぬこ」という名前をつけた。

 大した理由はない。ただそのころネットのスラングで、猫のことを「ぬこ」と書くことがあった。なんとなくそれに倣って「ぬこ」と呼んでいたら、彼女もまんざらでもなさそうで、「にゃあ」と返事をするようになったので、まあそれならいいかと思い、そのままにしたのだ。

 彼女はとても人懐っこい猫だった。私にもすぐに懐いたし、時折病院に預けたときも、スタッフに「懐っこい猫ちゃんですね」と言われたほどだ。
 思えば私は、あまり人から愛されたという記憶がない。親はそれなりにかわいがってくれたと思うし、親しくしてくれた人もいた。でも、その感情はどこか薄ぼんやりとしていて、「愛」という強烈な感覚は受けなかったのだ。

 そんな私に対し、ぬこは全力で愛情をぶつけてきた。もちろん、よく言われるように、猫は気まぐれな動物だから、好き勝手に過ごしている時間は多い。でも、甘えてほしいときには、「にゃぁ」と鳴いてすり寄って来たし、寝るときは、いつも私の枕元で丸くなっていた。

 私が体調を崩したときは、ずっと布団の横で心配そうに寄り添っていてくれて、彼女のおかげで病気の不安は大きく消えていったものだ。

 いろいろあって会社を辞め、自宅で仕事をするようになってからは、一緒にいる時間も増えて、彼女とたわむれることが、生活の一部になっていた。猫は長ければ20年ぐらい生きると聞いたので、それくらいは一緒にいられると思っていた。

 ぬこの病気がわかったのは、亡くなる半年ぐらい前だったろうか。血液検査の結果で、腎臓の値が悪く出たのだ。しかし、そう言われても、本人はいたって元気だし、あまり具合が悪いようには思えなかった。とりあえず、投薬をして様子を見ることとし、しばらく病院通いが続いた。

 しかし、経過が良くなることはほとんどなかった。ご飯を食べる量が減って、足元はふらつき、よく吐くようになった。今まで登れていたところにも、簡単には登れなくなっていた。一日のほとんどを、窓際にある私のベッドの上で、ひなたぼっこをして過ごすようになった。

 猫の1年は、人間にとっての4年に相当するという。年齢の換算表を見てみると、ちょうどぬこは、今の自分と同じぐらいの歳だった。子猫の頃はやんちゃして、困らされることもあったけど、今はお互いにちょうどよい関係でいられる。それも、自分と彼女の年齢が近づいていったからだと考えると、妙に納得がいった。

 仕事の合間に、日向で寝転んでいるぬこのところに行って、背中を撫でながら時間を過ごす。そんなことを繰り返した。おだやかな時間とは裏腹に、彼女の病状は悪化し、皮下輸液という注射を定期的に打つようになった。頻度が多いので、自宅でやらざるを得ないのだが、医者でもない私が注射器を彼女の体に刺すのは難しく、また、精神的な負担もあった。ただ、少しでも長く一緒にいたいという思いだけで、その治療を続けた。

 覚悟をしなければいけない。そして、猫を飼い始めた者の責任として、その最期はしっかりと見届けなくてはいけない。いつの頃からかそう思ってはいたけれど、なかなか現実とは向き合えなかった。むしろ、自分の死期を悟ったのか、それまでと違った行動をとるようになったのは、ぬこの方だった。

 夜寝る時に、枕元に来ることはなくなったし、今までのように甘えてもこなくなった。聞くところによると、猫は亡くなる時、誰にも見られない場所に言って最期を迎えるそうだ。ぬこにも、その行動が当てはまるのだろうかと寂しくなった。

 そして迎えた8月の終わり、とうとうぬこはご飯を食べなくなった。廊下の隅に寝転がり、荒く呼吸をし続けた。時折口を開けて、何か言おうとする。「にゃー」と言いたいのに、声が出ないように思えた。少しでも近くにいたかった私は、何度かぬこを自室に入れたけど、その度にふらふらになった体で、廊下に出ていってしまった。

 猫が死ぬ前にいなくなろうとするのは、飼い主を愛しているからだという話を聞いた。自分が死んでしまう瞬間を見せ、悲しませてしまうのなら、誰にも見られないところで最期を迎えようという配慮だと。本当かどうかはわからない。でも、一人でひっそりと亡くなりたいのだとすれば、ずっとついているのはどうなのだろうという気持ちと、それでもやはり、愛する者の最期を看取りたいという気持ちで葛藤した。

 2晩ほどそんな状態が続いたろうか。自分にはもう何もしてあげられることはなかった。しかたがないので、私が廊下に出て、ぬこに寄り添った。そして、時折ストローを使って、猫用のミルクで口を湿らせてあげる。そんなことを繰り返した。

 2晩目の明け方だったろうか。さすがに眠気が襲ってきて、ふとウトウトとした瞬間。ぬこは息を引き取った。私は最後まで彼女についてあげられたし、彼女は私に死ぬところを見せずにすんだ。私も少しは彼女に愛されていたのかもしれない。

 「死んでしまったんだな」。そうはっきりと認識した私を襲ってきたのは後悔の念だった。
 あのとき、私が連れてこなければ、家族や仲間たちと楽しく暮らす世界があったのかもしれない。
 「ぬこ」なんていう変な名前、本当は嫌だったのかもしれない。
 病気であることにもっと早く気付けていれば、もう少し長く生きられたかもしれない。

 ごめんね。ごめんね。ごめんね。

 今でも時々思い出す。ぬこをギュッと抱きしめたときの、少し嫌がるような仕草だったり、それでも頭をなでてやったときの安心した顔だったり、不思議そうに私のことを見つめる瞳だったり。すべてが愛おしかった。

 亡くなった後、少しずつ冷たくなっていく体を持ち上げた。びっくりするほど軽くなっていた。
 ベッドに運び、一緒に寝た。私は久しぶりに深い眠りについた。夢は見なかった。

 おそらくもう、私が猫を飼うこともないだろう。年齢的に、その最期を見届けることができるかどうかわからない。私が先に死んで、猫を路頭に迷わすわけにはいかない。愛する者との別れを、彼らに味あわせたくはないのだ。

 今年もまた桜が咲いた。窓の外、遠くに見える桜をながめながら、そんなことを考えて、ぼんやりと時を過ごしている。