おはようございます
気づけば金曜日。
今週は早かったかな
さてさて、そろそろタロが発達障害グレーゾーンに行きつくまでのいろいろを書きだそうかと。
私はマメではないので他の方のようにきちんと詳細までメモを取ったり、記録していたりなんてしておらず、曖昧な部分もありますが
このシリーズは長くなること必至なので、焦らずにいきたいと思います
タロの人生、巻き戻すこと約3年と数か月・・・
私は出不精だし、あまり積極的にお友達を作れる性格ではないので、児童館や公園などで同じ月例の子どもたちと接したことがありませんでした。
もちろん、そのママさんとも話す機会はありません。
基本的にお互いの両親の手は借りず、産後からずっとパパと二人だけで育児していました。
その環境に私の性格も手伝って、タロと他の子どもを比較したことはあまりありませんでした。
ただ、高齢で出産した初めての子だったので、様々な障害や病気の可能性を考え、いろいろな方のブログを読んでいましたが、さほど気になることはなかったんです
タロは一人遊びが苦手で、やたらと高いところに登っていた記憶があります。
また、親の言うことの理解は早かったですが、発語が遅く、よくクレーン(※)で要求を伝えていました。
※子どもが何かをしてほしいときに、相手の手を引っ張ってその何かを達成しようとする動作のこと
人見知りも全くありませんでした。
誰にでもニコニコ。
他の人にも普通に抱っこされ、私が視界から消えても泣くこともありません。
タロは母乳を飲んでくれず粉ミルクだったので、自分が親である必要がない気がして悲しかったのを鮮明に覚えています。
そして、10か月で歩き始めてからは、落ち着きがないように感じていました。
少し目を離すとすぐにどこかへ走っていってしまう子だったんです
手をつなごうとしても8割方拒否されるので、よく手首を持っていました。
賛否両論あるリードのついたリュックを背負わせていたこともありますが、すぐに止めました。
タロが使っていたリュックだけなのかもしれませんが、重心の関係でリードが張った時に頭から後ろに転んでしまうんです
車や自転車にひかれることはもちろん絶対に避けたいですが、頭から転ぶことも同じくらい避けなければならないからです。
ハーネスだったらよかったのかな・・・
私は勤務こそしていませんが、幼児教育関連の資格を持っています。
その資格を取るために何度か国内外の幼稚園、保育園、その他施設に実習へ行っています。
その時の記憶を思い起こすと同時にタロの成長に疑問を持ち始めました。
とはいえ、どこの誰に相談できるのかもわからず、ブログで見るような明らかな特性も見られなかったのでそのまま育児を続けていました。
幼稚園教諭をやっていた私の母がよく遊びに来てくれていたので、タロの様子について聞いたことがありますが、この月齢ではわからないし、これくらいの子どもは山ほどいると言われた覚えがあります。
その後、保育園に入園が決まり、更に母の疑いが濃くなっていくのでした・・・。
つ・づ・く