最近、FBを見ていると少し疲れる。
戦後70年、安保法案などがあり、
様々な発信がありますが、
右から左からと情報を読んでると疲れる。。
でも一度自分の頭を整理するため、
私の中でタブーの話題だったが、書いてみる。
私は「中庸」という言葉が好きだ。
これしか、違う国、考え方、宗教の人たちが
平和を実現する方法はないのではないかと思う。
「中庸」はよく勘違いされがちだが、真ん中という意味ではなく、
極端に考え方が偏らず、平凡な感覚で理解できることをいう。
「平凡な感覚で理解」が重要だ。
以前、FBで私より少し右にいる友達が戦争を火事に例えていた。
「日本の近くで火事が起きた時、周りは一生懸命、火を消そうとしているのに
日本よなぜ、火を消さないのか?」
というような話でした。
発想は面白いが、「火事」は「戦争」ではないし、
日本などの国を擬人化するのもちょっと違和感があるので、
以下のシチュエーションはどうだろう。
多数の人が集まってできる組織として国を企業、
そして戦争を企業間の争いとして考えてみる。
ある企業が違法な行為、もしくは暴力を使い、
他の企業の財産や人を傷つけたとする。
もちろん許されないことなので、社会を保つために処罰が与える。
だが被害を受けた企業が直接処罰をすることはできないのは当然。
つまり警察が捕まえ、司法の場で裁かれるというのが社会の常識である。
仇討ちの禁止は「負の連鎖」を断ち切るための先人の知恵である。
この負の連鎖は戦後70年たった今も、アジア諸国の日本に対する感情の中に
色濃く残っている。
何が言いたいかというと、
平和を守るためどうしても軍隊が必要だとしたら、
それは国連軍を組織するしかない。
グローバル化の社会の中で、一つの国の利益という主観ではなく、
世界平和という主観で安定を計らない限り、
次に国単位参加の大戦争がはじまると、人類はもう終わりだと思う。
平和と戦争というテーマは
原発の是非というテーマとよく似ている。
原発賛成派の多くは論理的に安全性を訴える
逆に反対派は感情的に否定する。
両者とも正しいから、結論が出ない。
対立軸を作り、左右に分かれても、前に進まない。
お互いの主張を一度飲み込み、どうすれば前に進むか考えるべきだ。
まず、賛成派は論理的な安全性の中で、
ヒューマンエラーが抜けている。
「人間は失敗しない」というのは空想でしかない。
原発事故はいつか必ず起こるし、
戦争をはじめた「正義」という大義名分も、
極限の戦争下で保たれるほど人間が強くないのは歴史が証明している。
だからこそ、日本という一国単位で軍を持つことは極めて危険だ。
逆に反対派もどうすれば、原発のない世の中になるか、
世界で起きている戦争をどうやって止めるかを考えるべきだ。
祈りだけでは残念ながら、実現できないことが社会には多くある。
原発に関しては、「省エネ」がひとつの解だと考えてる。
「省エネ」が中庸だと信じている。
そして日本では多くの実務者が一生懸命取り組みはじめている。
最後に
戦争賛成派や特定の国のことをネット上で攻撃する人は
ぜひ、その相手国に1周間でも滞在してほしい。
私は一年間海外にいて、「外国人」として生活した。
西洋人にとって、私達はアジア人でしかない。
韓国に行ったことがあるが、私にハングル語で話しかけてくる。
中国にも仕事に行ったが、日本で言われている情報だけではなく、
まじめに働く中国人もたくさんいる。
安保ではなくASEANとして、平和維持のために組織をつくるなら、
まだ、少し賛成できる。