「ひとを〈嫌う〉ということ」by 中島義道 | ~ゆるり~Precious Life with Venus

~ゆるり~Precious Life with Venus

カメラ片手に歩く愉しみを覚えてから、
いつもどこかで写真を撮っています
愛しきもの、美しきもの、心和ませてくれるものを探し求めて

 

「ひとを〈嫌う〉ということ」というタイトルを見ると、

なんとなくドキッとしたりヒヤッとしたりしませんか?

暗黙のうちに、

ひとを嫌うのはタブーみたいに思っていて、

ひとを嫌いだと断言することも躊躇するようなところありますよね。

「嫌い」ってやっぱり負の感情だし、

そんな感情を持ってはいけない、

でも現に嫌いなひとは存在するわけで、

しばらくは「嫌い」という気持ちを隠せても、

だんだん隠し切れなくなってくる・・・

 

私もずっとそう思っていたのですが、

この本は、

とても興味深く、

ひとがなぜひとを嫌うのか、

その根っこにあるものを探っていくので、

「嫌い」という感情に罪悪感を持たなくてもいいのかも、と

いう気持ちにさせてくれました。

 

 

以下、私のレビューです。

 

 

 

クローバークローバークローバークローバークローバー

 

 

私が生まれて初めて

人を嫌うという経験をしたのは、

幼稚園に入った頃だったと思う。

 

それまで温室のような家庭で、

他人をほとんど知らずに育った子どもが、

ある日突然、

他人ばかりの幼稚園という初めての社会で、

人間関係に揉まれることになる。

 

幼稚園のバスで、

初日から私をなんだかんだといじめるくせに、

隣に座りたがるKちゃんを

私は嫌った。

 

幼稚園生のことだから、

いじめると言っても、

「瑠璃ちゃんのカバン変なのっ!!」と言ったり、

ただ私の持ち物ややっていることをけなすだけだったが、

気の弱い私は、

ただただ泣くばかりで

何も言い返せなかった。

攻撃してくる相手を好きになる人もそうそういないだろうが、

私は彼女をどうしても好きになれず、

彼女との腐れ縁は中学時代まで続き、

悩まされることになる。

でも、

私は彼女に対する嫌悪感を隠していたし、

のちに彼女が喘息持ちで大変苦労するのを見て、

かわいそうだという気持ちもあり、

彼女を嫌うことは悪いことだとも思っていた。

 

 

 

それから先は、

大人になるまで、

特定の誰かを嫌うということはあまりなかったが、

やはり社会人になると、

理不尽なことがいっぱい起こる。

 

大学を出ているという理由で、

大学に行かなかった上司に、

いじめられるという経験もして、

なんと理不尽な・・と思い、

その上司を最初の1年はひどく嫌っていたが、

ずっと一緒に仕事をするなら、

なんとか仲良くなれないかと努力をした結果、

最後はとてもかわいがってくれるようになった。

その時も、

私は彼女に対する嫌悪感を隠し通した。

 

 

振り返ると、

やっぱり何かしらの被害?を被った場合に、

その相手を嫌うというのが常だったが、

ここ最近、

家族や親戚の間でも

いろいろあって、

ひとはなぜひとを嫌うようになってしまうんだろう?ということを

ずっと考えていたところに、

この本に出会った。

 

 

 

 

 

 

この本が

本当に人間の心理(特に醜い部分)を突いていて、

「そうそう、そうなんだよ!」とうなずくことばかり書かれていて、

実に小気味よい。

 

 

本書は、

「嫌われたくない症候群」という章で始まり、

『この歳になって痛感すること、

それは人間とはなんと他人から嫌われたくない生物か、

自分が嫌っている人にさえ嫌われたくない生物か、ということです。』

と書かれてあり、

自分に対する他人の「嫌い」という感情は耐え難く、

自分は他人を盛んに嫌っているのもかかわらず、

他人から嫌われることは絶対に許せないという不平等な姿勢に

凝り固まってしまう、とのこと。

 

ふむふむ、そうだよな、と読み進めていくと、

他人を嫌うことも、他人から嫌われることも

ごく自然であり、

誰でも他人を嫌うのだし、しかも、

理不尽に嫌うということも多々あり、

それも自然であると書かれてある。

 

(なんかちょっとホッとしたりする自分がいて・・・)

 

 

自分が誰かを嫌っているという事実に悩み、

「嫌い」という不快な感情を取り除きたいとさえ思う。

それでその「嫌い」の原因を探して、

原因がわかれば罪をそこに帰することができ、

自分は不快感や自責の念から解放される・・・

そして、自分を正当化したりもする・・・

 

中島義道氏は、

「嫌い」の原因は8つあると説いている。

 

1)相手が自分の期待に応えてくれないこと。

2)相手が現在あるいは将来、自分に危害(損失)を加える恐れがあること。

3)相手に対する嫉妬。

4)相手に対する軽蔑。

5)相手が自分を「軽蔑している」という感じがすること。

6)相手が自分を「嫌っている」という感じがすること。

7)相手に対する絶対的無関心。

8)相手に対する生理的・観念的な拒絶反応。

 

 

1)と2)はとてもわかりやすく、

私の場合は、ほぼ1)と2)に尽きるのではないかと思う。

1)の場合は、相手が自分の期待に応えてくれないという

少々わがままで勝手な理由なので、

すごく嫌うという結果には至らないが、

2)などは最たるものだと思う。

2)に付け加えさせてもらうと、

すでに自分に危害(損失)を加えた相手を嫌うことがほとんどの

ような気がする。

 

そんなに近い間柄でない相手でも、

なんとなく相手が自分を嫌っているのが感じられることがあると、

こちらもなんとなくその人を疎んじたりする。

それはまさに6)である。

 

あと、申し訳ないが、

一目見ただけで、

「あ、生理的に受け付けない」という相手も

たまにいる。

ただ、こういう相手は、

話していくうちに、

話が合ったり価値観が似ていたりすると、

急に好きになったりすることはある。

 

 

 

だいたい10人の人が集まれば、

その中でやっぱり

どうしても虫が好かない人は

1人くらいは出てくるわけで、

それはもう仕方のないことなのだ、と

思うことにしようと思う。

 

 

3)の原因の「相手に対する嫉妬」についても、

非常にわかりやすく書かれていて、

ひとは「嫌悪」を隠す生き物であると同時に、

自分が嫉妬していることもなるべく人に知られたくない生き物だと

書かれていた。

もうめちゃくちゃ納得!である。

 

他にも「自己嫌悪」についても

興味深く書かれてあり、

著者は、

他人を嫌うことと自分を嫌うこととは密接な関係があり、

すべての自覚された他人嫌悪には、

自覚されないところで自己嫌悪がまといついている、と

書いている。

 

「人を嫌ってはならない」という善良的な親に育てられた子どもは、

他人と対立するたびに、

自分が悪いという自罰的な方向に流れていき、

自己嫌悪に陥ると書かれている。

 

自己嫌悪にも

上記の8つの原因が当てはまるとも。

 

のろまな自分が嫌い、

魅力の乏しい自分の体が嫌い、という嫌悪感は、

「生理的、観念的拒絶反応」に当てはまるらしい。

 

 

 

 

・・・と

書きだしたら止まらないが、

読んだあと、

人間関係をもう少し違う観点から見ることができるような気がした。

 

 

不思議な爽快感が広がるので、

おすすめの本だ。

 

 

 

 

 

 

ルンルン今日聴いた曲ルンルン

 

よく洋楽に出てくる"sweet surrender"という言葉、

直訳すれば[甘い降参]という意味ですが、

適切な日本語がないような気がします。

惚れてる相手に「ああ、もうあなたには降参よ」と言って、

すべてをさらけ出して身を委ねるような状態かな・・・

 

 

 

ペタしてね