当たり前じゃ無いから教えなきゃなら無い、この意味。 | PLAYESTオフィシャルブログ「one's life time」Powered by Ameba

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当たり前じゃ無いから教えなきゃなら無い、この意味。 

日本で生まれ育てば

「日本語は当たり前にあり、自然と身に付く」

海外で育てば、日本語は当たり前に無いから

教えられ無ければ、身につか無い。


サッカーにも同じ事が言える。


何故、日本のサッカー育成では

やたらめったら「教え」無ければ

身につか無いのか?と言うと

「正しいサッカー」「正しいサッカー観」

「正しいプレー」が、

日本に当たり前に無いから!です!


だから、セオリーや戦術を

教えないとそうなら無い!


だから「教える」と言う発想になる。


僕は、そこの考えが違う。


教えるのでは無く、

それが身につく「当たり前」の環境を

用意して、そこに置いてあげるだけ!


そうすれば、教えずとも

それを当たり前として、勝手に育って行く!


考え方としては

「英会話スクール」に通わせるのでは無く

「英語圏で生活させる」的な発想。


家族サッカーで、

シンプルなサッカーをゲームとして楽しむ!


ここからサッカーに触れさせる事!


そして海外サッカーを見せる事!


そうすれば、


ゴールを奪うと言う目的(答え)から

プレーを逆算して動く(式)を導き出す力が付く

共通言語と言ったのはそこ!


その状況に居るチームメイトが

その状況を見た時に、

ゴールと言う目的を導き出す(式)が

とっさに「同じ」数式をイメージする

と言う事!


同じビジョンを持つ事による「連動」

それは形で教えられたセオリーで

動いて居るのとは違う!

身体に染み付いた文化のような物。


この「感覚」をそれぞれが持つ事が

重要なので有って


その「数式」を、セオリー、戦術として

「形」で教えるやり方が間違いなのです。


さらに言えば

日本ではその「数式」を

素人のコーチが持論「俺のサッカーは」と

それぞれが異なる数式を教え込む!


こっちでは「ドリブル特化、個人技特化」

こっちでは「前にドカ蹴りサッカー」

こっちでは「フィジカルを活かせ!」

こっちでは「パスサッカーだ!球離れ早く!」

と、それぞれが、違う事を良い

それを「サッカー」と思い込ませて

サッカー観から染めてしまう。


それは、日本のサッカーには

共通言語が無い、と言う現状を作っている。


そして、サッカーと言う「とっさ」の

連続のようなスポーツで

同じビジョンを持てないのは致命的な

判断、プレーの「遅さ」になる。


それぞれの「とっさ」の動きが

同じビジョンから来る物でなければなら無い!


その為には、当たり前に

サッカーの原理原則があり

その為のプレー選択と言う共通言語を


当たり前に、身に付いて居なければ

なら無いと言う事!


どんな事にも、そう言う根幹の部分がある


音楽もそう!

音楽の本質と基礎基本が有れば

それを共通言語として

例え国が違っても、言葉が違っても

音楽で会話が出来たりする。


本来、サッカーもそうで無ければなら無い!


でも、日本のサッカー指導では

そこを、身に付けさせられるコーチは

少ない!


だから、教えられたプレーしか出来ない

他のチームに行ったら、出来ないとか

そう言う事になる。


つまりコピーバンドと同じ!

練習した曲しか、弾けないプレヤー

にしてしまって居るのです。


テクニックはあるが、サッカーが下手な日本人

そこが分からないと


いつまで経っても「サッカーが下手な日本人」

と言われる部分は、変わらないと思います。


やはり「育成段階」では


「共通言語」となる部分!


サッカーの原理原則の中で

ゲームとしてプレーする事が

重要だと思います!


そう言うチーム、ちらほら出て来てますよ!


コーチやってる大人は焦って下さい!

勉強し無いと、ガッツリ遅れますよ!

竜の字