高三の10月いっぱいまで部活に明け暮れていた俺は11月から本格的に受験対策を始めた。いわゆる《受験生》になって2ヶ月半、一浪を覚悟していた俺にとって「センター試験」は


【腕試し】でしかなかったのに…。


筋肉バカしかいない体育校から【センター試験】を受けるの生徒は数少なかった。試験当日(19981月)、普段そんなに仲良いわけでもないのに同じ高校の理系グループとテストの合間の休み時間に試験会場の廊下で話なんかしちゃったりして。。当時


いつでも二人乗りできるように


と、俺のチャリには【ハブステップ】を仕込んでいた。ハブステップとは元々自転車の後輪の中央にあるハブに取り付ける棒状のもの。



自転車が倒れた時に、棒状の突起がディレーラーよりも先に地面に着くのでディレーラーを保護することが出来るという優れものらしい。が、世間の認識はほぼほぼ


二人乗り用の棒




高校三年間【女子】には使われることがなく(男子は沢山乗せた)、唯一使ったのが車検中で車が使えない母ちゃんを仕事場へ送り迎えのみ、女子ではない。。しかし、


センター試験マジックが起きた!


普段ほとんど話をしない同じ高校の女学生(確か隣のクラス)、慣れない場所にある試験会場、ドカ雪、交通機関の乱れ、センター試験という大舞台そんな偶然が重なって、俺のハブステップに


ついに女子が乗った日♪


バスが混んでいたんだかなんだかで帰りの駅まで俺が乗せて行くことになった(考えてみれば雪でも10kmの道のりをチャリで行っていたな…)。暗黒時代と思っていた高校時代にも一筋の光はあったらしい。さて、センター試験が終わり自己採点をするわけだが、


そこそこいい点数をとってしまった!


これが良くなかった受験対策もままならないまま受験生になった俺は端から現役を諦め【一浪】を覚悟していた。はずなのに


現役でもいけるんじゃね?


との欲が出てきてしまった。元々【75】(例えばの数値、決して偏差値ではない)の大学をねらっていたのが、センター試験で【80】をとってしまった!これは行けると望んだわけだが、第一志望惨敗。本来は受けるつもりがなかった【70】の大学を受験惨敗。おかしい


チャリの後ろに女子も乗せたのに!


一向に受かる気配がしない。いつの間にか現役にこだわってしまい東京以外の大学や【50】の夜間大学なんかも受験惨敗。


俺のプライドはズタボロになり


卒業と同時に一浪を諦めることとなる。一浪した一年後に受かる自信が全くなかった。つまり大学進学を諦めたのだ。密かに(東京の)大学に行ったら


【俳優業】をかじりたい


と思っていた。あくまでも大学に入った上での想定。そして、《かじりたい》というなんともチャラい考え故に誰にも言えずにいたが受験真っ只中の時、


秘密裏に東京の劇団の説明会


のために上京したりもしてた。俺の進路はどこにも決定決しないまま前述のその娘とはセンター試験以降学校で話すこともなく卒業式を迎えた。特にその娘が好きだったわけではないが…ちょっとだけ期待してたサプライズも何もなく、ただただボクシング伝統の


後輩全員並べてボデイを殴りまくる



という作業を繰り返し俺は高校を去った。一浪を諦め予備校へも行かず地元でフワフワしていた。とりあえず行ったのは自動車学校。大学進学を諦めた俺に残ったのは


「役者を(ちょっと)やりたい」という想いのみ


役者を志し上京するという確固たる決意に至るまでは半年がかかり、その間はフリーターだった。《役者への道》はセンター試験が決定付けたというには苦しいが、あの時まぐれでいい点数をとってしまった結果が今の成れの果てである。人生の岐路となった1998年のセンター試験…。何があるかわからないぞ、最後のセンター試験現役諸君、


センター試験にはマジックがある


気を付けろ!!そして2ケツで女子は乗せるな!!!乗せても告られはしないぞ!