手代森小学校から一番近い店…ワークマン!そんなふざけた地域でも全国に世界に誇れるものがある。あ、ちなみに
てしろもり
と読みます。サッカーU-23日本代表の手倉森(てぐらもり)監督とはちょっと違う(笑)手代森小学校は明治6(1873)年開校で今年で
153年の歴史をもつらしい
そんなに?!まぁ俺が通っていた約2
〜30年前までは木造二階建のオンボロ木造校舎だったからなぁ…。木造校舎なのにさらに【旧校舎】と呼ばれる…もちろん木造のもっとボロボロの校舎?教室?があって、常に南京錠で閉ざされていた。
入ろうと思えば窓から入れるんだけどね(笑)
基本的にはなかなか中に入れず、年に一度しか使わない運動会の綱引き競技の綱や、高さ違いの机・椅子などがしまわれており倉庫みたいな使われ方をしていた。メインの木造校舎は教室数が少なく、一階部分に継ぎ足しで渡り廊下→プレハブ教室→渡り廊下→プレハブ教室と
かなり迷路に近い作りになっていた。
『廊下を走らないでください』
小学校によくある標語だが、手小(以下てしょう)の場合は意味が違う。木目の廊下(板一枚一枚が反っててかなりデコボコ)を走ると
校舎全体が揺れるのだ
かなりの振動…なのでそういう意味で我々は廊下を走ってはいけなかった(笑)でも唯一全力疾走できたのが
廊下の雑巾がけ!
これだけは大義名分があり全力疾走できたんだ。バカだよね〜、でも気持ちよかった!校舎グワングワン揺れるけど(笑)木造校舎のトイレはもちろん
ポットン便所
しかも男女共有のトイレだった…今思うと考えられないな。。唯一男女分かれていたのは体育館のトイレだけか?下まで何メートルあるんだというくらい深いポットン便所で、低学年の頃は怖くてなかなか体育館のトイレには行けなかった。でも基本(校舎のトイレ)は
男女兼用のトイレだべ?
高学年になると女子を意識しはじめてなのか、体育館のトイレに行くようになったので不思議だ。大で個室に入るのも男子便所内なら堂々と入れるしね。
なんだそりゃ?!
と思うかもしれんがこれ、本当の話。そんな、金田一少年の事件簿に出てきそうな木造校舎と埃まみれの旧校舎は俺が小6のときに解体され
鉄筋コンクリートの新校舎
が落成された。もう何もかも衝撃だったよ…まず3階建てだべ!?鉄筋コンクリートだべ!?ベランダあるべ?!教室と廊下の境がねぇべ!?床は正方形が並べられた絨毯だべ!?だから掃除の時間に
雑巾がけしなくていいのよ(笑)
お陰で堂々と走れなくなった。。さらにはトイレは男女別々だし!!んで水洗だし!!もーう、ショックの連続。。掃除の時間と云えば、ローテーションで色々な箇所を掃除するのだが、
外掃除
と呼ばれるポジションがあった。まぁ、校舎の周りのゴミ拾いなんだけど…手小の場合はゴミよりも多く拾われるものがあった。
石器と土器の破片
んなアホな…?!後に大学で考古学を専攻するウチの次兄は、当時これのコレクターで家には石器や土器が入ったカンカン(←お菓子の四角い缶)が数多くあった。それもそのはず小学校のある一帯は
手代森遺跡(縄文時代晩期前葉)
と呼ばれるところであり、国の重要文化財にも指定されている
【遮光器土偶】
が発掘された場所でもある。誰しもが教科書で一度は見たことがあるであろう。小学校近くを流れる大沢川の改修工事が行われたのが昭和58年、その時に採掘調査が行われて判明したんだって。遺跡の中に100年間学校があったわけだ…。今もあるわけだけど…
誰か気づかなかったのかな?
土器や石器がその辺に転がってるのが当たり前で、俺たちは石器拾い土器拾いが遊びの一つだった。おかしな環境の中で幼少期を過ごしたんだなぁ(笑)タイトルの
【りんごっこ】
とは手小の児童のことを指します。「りんごっこ集会」とか「りんごっこ活動」とか…何かとりんごっこ(笑)あまり知られていないが岩手はりんごの生産量が1位青森、2位長野に続き全国第3位or4位…山形と競っている。手小の校章もりんごを縦に切った断面がデザインの元となっているようです。まだまだ終わらない盛岡南シリーズ、順番が前後しているが次は高校受験編かな〜
続く。