先日、岩手県出身者と遭遇した。なんとなく身の上話になり話しておると…

「へぇ俺も!珍しいね、岩手のどこ?」

「盛岡です!」

盛岡市

ここで盛岡と即答するヤツは大体【旧市内】の連中だ。同じ盛岡市内なのだが俺の出身地は【都南地区】と呼ばれる

旧・都南村

都南村

都南村

である。合併して吸収されたクチです(笑)しかーし、勘違いして欲しくないのは【平成の大合併】の産物ではないということ。平成の大合併は1999~2010年に政府主導によって行われた市町村合併。全国3232あった市町村は1727にまで減った。これにより

故郷の地名を失った人

は多くいるはずだ。けどそんな平成の大合併ではなく、我々都南村民が盛岡市民になったのは忘れもしない佐々木少年中一の春

1992年の4月

である。いちおー平成(4年)なんだが…ややこしいな(笑)【閉村式】って知ってるかい?読んで字の如く…村を閉じる式典でございます。雪解け間もない3月31日、まだまだ肌寒い北上河原に特設ステージが設けられてさ、さんさ踊りやら花火大会やら

藤村村長の挨拶

やら盛り沢山だったな。ああ…このおじいさん村長は明日から無職なんだなぁと思いながらステージで握手したのを覚えている。村民から

突然【市民】になった俺たち

何が変わったって…まず住所が短くなった。

岩手県紫波郡都南村黒川~
↓↓
岩手県盛岡市黒川~

これは楽になったよね。親父の影響で結構筆まめで年賀状等を書いていたんだが、【紫波】(しわ)って小学生にしては難しい漢字だったし、よく

【郡】を【群】と誤記

していたものだ…これは俺の頭の問題か(笑)あとは郡大会だったものが市中大になったり…まぁこれはちょうど小学生から中学生になる年代だった俺たちにはあまり違和感はなかったが

「乙部中ってどこ?」

乙部中

とよく言われてたな。都南村内でさえ田舎の部類にされていた乙部地区、市街地の中学からしたらもう~ど田舎だったらしく…扱いが酷かったよね。ちなみに黒川は乙部地区内にある。

396号線南下したとこだよ!

「396…って行き止まりじゃね?」

行き止まりなわきゃねーだろぉ!!ニチイ(←MYCALグループ)の川向かいだ、川向かい!

ニチイ

「舟で渡るんだっけ?」

なに時代だ?!でも確かに乙部や黒川にはコレだというランドマーク的なものが存在しないので説明し辛い…思い付くのは

・松本商店(現在閉店、バス停のみ)
・スーパーむらかみ(現・フレッシュたもり)
・白石パン
・大ケ生金山跡

うう…地元民しかわからないものばかり。。ベッドタウンと呼んでくれ!盛岡市のためにあるような街…もとい、元・村!でもね、我が家の近所は

市街化調整区域

と呼ばれる地域であるのだ。あまり聞き慣れない単語であろうが…市街化を抑制する区域だな、以下Wikipediaより

『新たに建築物を建てたり、増築することを極力抑える地域。既存建築物をを除いては、全般的に農林水産業などの田園地帯とすることが企図されている。』

あぜ道

だそうだ。つまりは開発しちゃダメよ、田んぼを残しなさいという都市計画だわな。これが盛岡市に吸収合併された時に発令されたのかそれ以前からの都市計画だったのかはよくわからないのだが、我が故郷の姿は

30年来ほぼ変わっていない

北上川と南昌山

ちなみに市街化調整区域というのは国土の10.3%を占めているらしい。岩手県の国土面積は北海道に次いで全国第二位。森林面積は奈良県・和歌山県と同率5位の77%…

都南村黒川は未来永劫変わらない

サイクリングロード

手小前

ということだな…。そんな黒川は東北六大祭りの一つ【盛岡さんさ躍り】の発祥の地である。

続く。