■2011年2月1日
佑ちゃんフィーバーを少し気にしながら、羽田空港のロビーを歩く選手がいた。エース格の武田勝だ。相変わらずマイペース。ファンに写真撮影を求められると「逆光?よし、反対を向きましょう」と率先して指示を出し、楽しそうに振る舞っていた。
約一ヶ月のキャンプ生活。衣類や生活必需品のほか、自由時間を有意義に過ごすためのアイテムも持ち込んでいた。その一つが北海道を中心に活躍するタレント鈴井貴之氏の自伝「ダメ人間」。セレクトの理由は明快で「僕、ダメ人間だから」と即答した。いつも自分を飾らない。そんな武田勝の自伝も読んでみたいと、素直に思った。
■2011年3月10日
悪夢がよみがえりそうになった。岐阜長良川球場の三塁側ベンチ付近で、武田勝を取材していると、防護ネットの隙間を通ってライナーが飛んできた。うかつにも目を切っていた記者があたふたしていると、技巧派左腕はヒラリと身を翻し、「なんでここに打つかな。また当たったらヤバイでしょ」と苦笑いを浮かべていた。
08年に武田勝は相手チームの打撃練習の球を左手に当て、骨折した経緯がある。福島チーフトレーナーは冗談交じりに「勝がいるところにボールが飛んでくるよな」とチクリ。けが人が続出している今、左のエースまで負傷したら…。想像しただけで恐ろしい。
■2011年4月2日
東日本大震災の後、調整スケジュールの都合で2軍戦に登板してきた武田勝が1軍に合流した。自宅のある都内から鎌ケ谷に通っていたが、震災の影響は大きかったそう。「いつ余震があるかわからない。家族のことを考えました」と振り返る言葉には実感がこもっていた。
関東では水が手に入りにくいなど、状況が違っていた。「節電とかムダな物を買わないとか、神経質になりました。生活面では(日常の)ありがたみがわかりました」確かに、不自由なく、暮らせることが当たり前ではないと思う。記者も震災の恐怖や不安を目の当たりにすることで、気付くことができた。
