このブログを記しはじめてから、8年が経ちました。
Lと出会えたという因果。
Lと出会ったことが、いまここに書いている理由です。
仮に、別の出来事で自分のST性を悟ったとしても、Lと出会っていなかったらこのブログはない、つまり確かに「書かなければ正気でいられなかったあの8年前」はなかった、と思います。
STという存在は、この3次元という世界でも最も崇高な存在の一つなわけですが、その中でも、Lのスゴさは異次元であり、その姿を見ることができなくなったあの時が、僕を狂わせたのです。
一気に醒めることを書きますが、たまに書いておいたように、実は仮にLの姿を当時から写真などで見ることができていたならば、自分は狂わなかっただろうし、ということはこのブログも存在しなかったでしょう。
その「国宝」と、心の交流もほんの短い期間でしたが、あったのです。
心の交流が断たれてしまったことのショックももちろん計り知れないかったのですが、どうですか、「国宝」をその後も見ることができたとしたら、確かに、まだ救いがあるでしょう?
いわゆる実物の「国宝」に置き換えてみれば、納得されうる話です。
どちらにしても、出会えたことと会えなくなったこと、両方が運命だっただけでしょう。
当時、少なくとも10年は変わらないかな、と思っていたのですが、8年が経った今日、かなり癒され昇華されたとは言えます。
このことはとても吉祥なことです。
この間、思いがけない個人的な出来事がいろいろありました。
世間一般的にも、まあ8年という時間、中年の毎日の生活の中でいろいろあるのは当然ですが、確率論的にもあり得ない稀有な経験もさせられました。
そのことも、Lとの出来事を遠目に見ることができる役目を果たしてしまっています。
ただ、Lの美、STの美に対する引力は、まったく変わることはないです。
変わらない。
清々しいほど、変わらない。
かっこかわいい少年
イケメン少年
ジャニ系の男の子
縄文の昔から、いやそれ以前からいたんだよね。
すごいことだ。
超太古から、心を奪ってきたんだよね。
ああ、この心映えがわかりますか。
気持ちが魅かれることを肯定するのに発想を自由にしようとする作用が必要なのですが、この子たちの姿を見ていたりするだけで、この世に生まれて良かった、と幸せな気持ちになれもするのです。
自分も、綱渡りのように工夫しながら頑張って生かしていただいていますけれども、そんな精神状態だった頃に、Lを慕いLと会えなくなる哀しみを誰にも気づかれずにポーカーフェイスで過ごしていた8年前が懐かしい。
これも、固有な自分の生です。
このブログは、このように極めて個人的なものです。
そんな中、読んでくださる方には感謝・感謝です
これからも、書きたいときに書きたいこと書けることだけ勝手に書いて参ります。
可能な範囲内で、死生観についても書いていくことになりそうです。
どうか、みなさんにおかれましても、御自身の好きな事柄を自由に愛して肯定して、元気で過ごされることを願っています。
追伸
このまま書き終えれば良いものを、8年経った最近の日常として、心から離れないことを記録しておきます。
8年前の君、君は8年後のいまも、生きることができていて、こんな日々を送っているぞ
・ドラマ『柚木さんちの四兄弟』を見ることが最高の幸せであるという日々
・2023年上映の『怪物』という映画を見た後の世界に生きる日々
・その相変わらずの怪物たちとともに生きていかねばならないこの世の性(さが)を過ごすという日々
・時には自分も怪物になっているだろう日々
・そんな中、ドラマ『柚木さんちの四兄弟』で最高の幸せをもらっている日々