おはようございます😊
この間、何回も書こうと思ったこともあるし、ここ最近の報道(一文字で表すのなら、「J」)について、言った方が良いこともあるのだろうけど、いまとても酔っぱらってるのと、このまま書かないと初めて書かない月が出来てしまうかもと思って、書き始めてしまいました。
本当は、かっこかわいい男の子、イケメン少年、ジャニ系少年(おっと!)の姿をともに愛でたいだけなんですけどね
このページを見てくれる人の数はとても少ないですけれど、こういうページで、実はフツーの人間が書いているのに、何を書いても、誤解しかない、ということがあるのです。
それが世間そのものであることは、この半月の世の中の「報道」や「世論」でもよくわかります。
※元々このページをご覧になってくれている方々は、もちろん、誤解の方ではありません。
このページをやるやらないにかかわらず、Gというだけでも、誤解されるだけの人生なのです。
これは変えられることでもないし、同時にそのことを十二分にわかっているのが、われわれ当事者です。
なぜならば、その生を生きているから、それしかわからないのですよ。
ただ、確かに、日本ではそれで顕著な迫害は受けたことがほとんどないし、殺されない点の幸せを、自覚はしています。
落ち着いて、時間の取れる時に、この点について書きたいとは思っております。
この前、ドライブ中に、ふと思ったこと。
自分には、親よりもちょっと年上の世代の、「かっこいいオジさん」がいました。
この場合の「かっこいい」というのは、いつも書いているようなジャニ系という意味ではもちろんありません。
ただ、畏れ多くもその「オジさん」に申し上げるならば、お見掛け(見た目)もかっこよくていらっしゃったのですけれども、そのことを言いたいのではありません。
その方がいると、場が和むし、また場が引き締まる。
ちょっと年上のその方を、親戚一同が敬意を持っている感覚。
かといって、その方(かた)がお茶目だったりする。
あまり具体的なことは書けませんが、きっと、どの「親族」にも、そのような存在がいらっしゃるはずです。
実は、ここで言いたいのは、その親族を本当に尊敬しているのはあるのですが、この親戚の集まり、「親族」というものの、コワさの方です。
親族って、たまにしか会わない、またはめったに会わないですよね。
ただ、自分の「生」の証を暗示する存在でもあります。
この、<世間の最小単位>のような親族に、必ず、「変わった人」というものがいるものなのです。
「かっこいいオジさん」は、10年くらい前に亡くなってしまいました。
自分の小さい頃、親の兄弟が、その「オジさん」に対する、上記のような物腰をしていたのを、最年少だった少年の自分は、よく覚えています。観察もしていましたし、何よりも大切な記憶は、自分自身も、尊敬の念、「粋」をじっくり感じていました。
かっこよかったです。
自分の中に、やはり、まだオジさんの年齢までにはいっていないにしても、そういうかっこよさを醸し出せる大人になりたいとは、いまでも思っています。
こんなに、かっこかわいい男の子を強調していますが、それはそれで寸分も違いませんけども、人としての魅力というのは、まあもちろん、目に見えないところにあるのです。
GでもLでもTでもSTでも、まあその他の事情ある人でも、生きてての一番の鬼門は、親族との会合でしょう
「こっち」の次元の話ではないけれども、親族の集まりで、その一人の発言に、食って掛かるべきほどの許せない発言をした人がいた(後で兄弟に確認しても、同じように思ったとのこと)けど、結局そのことをきちんと記憶に留めておくかわりに胸ぐらをつかまずにニコニコしていたことがあります。この修羅場が、親戚との会合というものです。
そういうわけで、わたしは、なるべくならば、これを避けます。芸術的に避けることもあります
先程、<世間の最小単位>と書きましたが、だからこそ、その場にはわれわれのような「こっち」の人もいるものですし、「かっこいいオジさん」のような粋な人もいるものなのです。
この世の人たちが、いろいろなことを知って、余計なことを言わずに、寛容になったとき、親族の会合も、ハッピーなものになるのでしょう。
実は、自分には、その親族がそれほど大きくはないからなのか、親族の集まりで、イケメン少年には出会えなかったです。
ひょっとしたら、<世間の最小単位>である親族にも、イケメン少年が必ず一人はいるものなのかな
やっぱり、世界を救うのは、ジャニ系少年なのです(あっ!)