おはようございます。

 

一ヶ月ぶりに書きます。

このページも、ちょっと忙しかったこともあり、自分自身久しぶりに開きました。

 

 

 

今年も、こうしてお盆の時期を迎えられたことを、有難く思います。

実は、自分自身、「お盆」ということの世間的な意義を知ったのは、大人になってからですし、よく意識するようになったのは、ここ10年くらいではないでしょうか。

それほど、ある意味では「一般的」な認識しかしていませんでした。

 

 

年齢を重ねていくことで、気づかされることはあります。

近しい人たちの死が増えるとともに、生きること、そして生死について考えること、それを切実に思う時も増えます。

精子ではありませんグラサン

と、少し茶化しておかないと、ちょっとアレですかね。

 

 

自分は、かようにして子どももいませんので、これは逆に、世の中一般の、日本の未来について、思いを馳せやすいということがあるかもしれません。

自動的に、あるいは本能的にといっても良いのかもしれませんが、わたくしはSTなるものを守ろうと考えてしまいます。

それしか考えてないと言っても良い感じです。

 

 

以前から読んでくださっている方はご存知かもしれませんが、自分は数年前、個人的にかなり危険な状況になったことがあります。このことは、事の詳細を書くことはありませんが、峠は越したものの、工夫をしないと危険な状態は再発しうるということで、生きるということにおいて、念頭に置かざるを得ない状況であることには変わりなく、それゆえ、挙論していないだけということがあります。

 

 

 

 

 

人は誰でも、このように、工夫して生きているのかもしれません。

普通に生きていくことすら難しいのなら、われわれのようなある種の人たちは、もっと大変ではありますね。

 

 

 

 

 

 

このページを見ている方は賛同してくださる方も多いと思いますが、わたくしは人が大嫌いなのです。

できれば、人と付き合いたくないし、人が少ないところが好きです。

 

ただ、これもわかってくださるかもしれませんが、人が嫌いという方のことは、かなり好きなんです爆  笑

このことは、とても大切な気がします。

 

 

 

 

 

 

 

縄文時代(16500年くらい前から1万年以上続いたという、世界最古の文明)の人口が、最大で26万人で、だいたい10万人前後らしいです。

 

1世代を25年としても、先祖の数が一人当たり、江戸初期で3万人、鎌倉初期(800年前)で日本の人口である1億人を超えるとのことです。ということは、鎌倉初期で、日本人すべてがつながるということですし、そこからさらにさかのぼると、数兆人の先祖ということになりますね。

 

 

 

その中には、いまの語でいうゲイもいるのですねグラサン

 

 

 

わたくしは伝統こそ大事だと思われる方なので、それを否定したいわけではないです。

血筋は、このように実はつながっている(都会に住んでいる自分も、4世代遡れば100%農家の血筋)ので、確かに意味はないのですが、言いたいのは、人口のことです。

 

 

 

 

明治半ばで4000万人らしいので、いまの3分の1です。

いまが多すぎるし、都市は異常を越して異常過ぎる現象なわけです。

明治初期で、県別にいうと、新潟県や石川県が人口最高だった時期があったそうですが、それはお米と関係しているでしょうし、東京より多かったことを知ると、いかに人類の歴史から言えばですが、都市の人口が不自然かわかります。

いま、人が人に会いすぎだということがわかりますし、その機会が少ないことがむしろ自然であり、そうするとより健やかな世の中になることでしょう。

 

 

 

真面目なことを書き連ねていますが、実はいま、べろんべろんに酔っぱらってもいます。

お盆休みがあと数日で終わってしまうことを嘆きながら書いておりますてへぺろ

 

 

去年のお盆にも書きましたが、確かにわがままかもしれませんが、この世の人とのお話は、時に幸せなこともありますが、これは大変な修行でして、一方通行ではあるものの、彼岸の方々に対しては(ひょっとしたらお互いに)弁解も含めて、虚心坦懐に言いたいことを申し上げることができるのです。

 

 

 

 

大東亜戦争についても、本当のことを知るなんて不可能かつ不遜なことは謹む一方で、何もかも嘘ばかりを教わったことに気づき、遅ればせながら勉強しています。

日航ジャンボのことだって、新説が出てくる時点で、何かおかしいでしょう。それでも、例えば15年前よりは、だいぶ人口に膾炙してきた感もあります。

 

亡くなられた方々が、納得なさるかどうか。

 

それ自体、此岸の自分たちがどこまでせまって良いものかわかりませんが、どうか心地よく過ごしていただきたいという気持ちには変わりありません。

 

いつかわれわれもあの世に行くわけですし、あの世で健やかに過ごしてくだだくことをお願い申し上げながら、わたくしたちもこの世でも生をよりよくしたいものですね。

 

 

 

 

今日も、かっこかわいい少年を見ることができることに感謝!