おはようございます。
ひと月以上が経ったようです。
月末でも月初めでもない、中盤に書き始めてしまいました。
ネタ(好きに書いているので、ネタもなにもないですが)は一杯あるのですが、気分が乗らないとやらない・まもまった時間がないとやらない、という典型的な仕事できない人間でありまして、やはり今日も思いつきのことを書きます。
おっと、ここで題名と重なるかも。
自分は、世の中の多数派を占めるであろう、休みが好きな人間です。
その中でも、休みが好きな方だという自信があります
イケメン少年と休み、どっちが好きかというと、両方好きです。
両方同じくらい、果てしなく好きです。
6月。
確か、祝祭日がない唯一の月だったはずです。
つまり、残念な月(しかも、今その真ん中くらいでしょ)なのですが、日が長いのはとても好きです。
もうすぐ夏至!
ただ、昼の長さは今日あたりから夏至過ぎまで、一年で一番長い日が続くようです。
これは、心にもすごく良いです
以前、「HSP」のことを少し書きましたが、自分がいままで生きてきた経験として、名付けるということの恐ろしさを感じることが多かったです。
まあ、個人的な気持ちとして捉えていただけたら幸いです。
だいたい、名付けるということから新たな問題が生まれるようでしたし、そこから問題が広がると、その結果生じたことの大半が間違っていたり、茶番だったりします。
ただそれだけならまだしも、そのことが人を追い詰めたり、死に至らしめることさえあるようなのです。
たとえば自分自身、名付ければHSPの傾向があると、自分では思います。
ただ、その語を知るまでは、あまり考えもしませんでした。
あと、単純に横文字に違和感があります。
これは幼い時からずっとです。
Gという語もそうです。
ただ、Gと名付けることとHSPという言葉があることは、本質的に違うと言える気がします(深く考察していません。ただ感覚的には、そう確信します)。
今日、これを書きたかったわけではないのですが、おととい非常に危険な法律が奇妙な形とスピードで通ったことと関連してしまいました。
LGBTなんて、この括りから話を始める時点で、先程書いた大いなる誤謬を生んでいるのです。
(なお、このことは個人的な感想なので、議論はしません)
Gにもいろいろあります。
そして、名付けることによって、伝えやすくなることもあることは承知しています。
老子は、「名無きは天地のはじめにして 名有るは万物の母なり」と言っているわけです。
すみません、覚えたてのことを書いてしまいました
本質的には「名無き」が大切だということでしょうが、「名有ある」ことも、つまり両方の価値を言っているのでしょう。
2600年前から言ってくれている老子さん、ナイスです。
矛盾するようですが、自分も「G」デビュー以前は、言語化できないことで、悩みに悩んだのでした。
例えば、学生時代。
「フツー」だったら、楽しい場所にもなり得たでしょう。
それが、緊張する場ばかりになってしまったりしたわけです。
身の回りのほとんどの事柄で、「頑張りたいけど頑張れない」状態の中で生きていました。
その頃とはだいぶ違いますが、いつも書いている通り、いまもその状況で生きていることには、社会の中で生きている以上、変わりません。
<自称と他称>の違いは大きいかも。
他称で使う場合は、誤解に基づいて決めつけることになることが多く、非常に危険です。
もちろん、自戒もこめて。
ただ、つい先日、こっちではない人が、
「(こっちの人は)難しい人生を歩んできたチャレンジャーです。尊敬こそすれ、かわいそうだなんて、上から目線で思ったことはありません」
と話すのを聞きました。
生きた心地のする言葉でした。
いろいろと「名付ける」よりも、昔からある<思いやり>ということばで充分だと、思っています。
休みが好きという題名から、外れたようにもなりました。
でも、実は、だから休みが好きなのだということです
僕は休みの日もそうでない日も、イケメン少年を見て時間を過ごすのは好きです。
いまは22歳の、大八木凱斗(かいと)くんです。
ずっと、かっこかわいいんだな、これが!
まずは凱斗くんご本人に、そして神さまに、声を大にして有難うと言わせていただきます