結論から先に言うと、かっこかわいい男の子を見て、なんとも思わないことが本当にわからない、ということ

 

街中でかっこかわいい少年を見た瞬間から、心穏やかではない。

ずっと見ていたい、というのが一番だが、胸がときめき、時には声も出てしまい、すれ違ってもう二度と見られなくなることにせつなくなり・・・、と。

 

自分が、ゲイであれショタコンであれかなりのマイノリティーなのに、(少なくとも今までは)何とか平然と生きてこれたのは、実は

 

<「美少年、かっこかわいい男の子が好きなんて当たり前だ、好きにならない方がおかしい、どうかしている」と心底思っていて、そのことに関しては一寸たりとも疑ったことはない>

 

からだ。疑う余地どころか、自動的というか、

 

<美は美>

 

だ。

 

これは冗談ではなく、かっこかわいい少年に対するこのベクトルは、普遍的なものだと思っている。

 

 

自分が最初に男の子にグッときたのは、小1の同じクラスの子だった。そして隣のクラスの子が、これは学年(小1にして)の子みなが認める本当に美少年そのもので、最初に見た時の衝撃は今でも忘れられない。あれから30年以上経っても、あの子の美しさを、日々思い出しては、ため息が出る。

 

よく小6の頃に気になる子ができて・・・、なんていう話を聞くが、自分は何と早いことか・・・。

 

ただ、常識として、小1にしてすでに自分に染み込んでいた「男が男を好きになることはあり得ない」というのがあったため、やはりイケナイことだと思っていた(この「常識」が決して悪者だけではないことはいつか書きたい)。ただ、男が男を好きになるのはイケナイことだけど、ああいう美少年のことはみんな好き、かっこかわいくてたまらないと思っているのだとも、思っていた。

 

今でも不思議なのだが、ああいう「かっこかわいい少年」を見て、みんな何も思わないのだろうか、と。

 

これは、百たび強調しても足りない。

 

「かっこかわいい少年」を見て胸がときめき、えも言われぬ気持ちになる、生きる原動力なのだ

 

ということが、自分の言いたいことのすべてなのだ。