お久し振りのブログです。(^_^;)

もう肺の手 術をしてから、3ヶ月が経ちました。

ドレーンが挿入されて居た胸部と背中の穴の部分の瘡蓋や斜めに入った傷痕がなかなか治らず、何だかんだで数ヶ月も実家に滞在して居ました。

肺の中の膿を掻き出す時に背中に大きく切った後の医療用ホッチキスで留めたのは抜糸ならぬ、抜鉤(ばっこう)の傷は直ぐに分かりづらくなったのですが、ドレーンの痕はなかなかしぶといです。

入院して居た時はまだ、雪が残って居たのが、今では桜も八重桜が少し残って居る位にすっかり春。

とはいえ、まだ朝晩は一桁気温が多い北の大地です。

最近はリハビリを兼ねて歩いて、10000歩以上歩ける様になって来たのですが、右へ右へと歩く事が多く、これは前からだったので、今まではあまり気にして居ませんでした。












北大病院の口腔外科の治療時に医療センターの実習生が居た為か、医師から写真を撮るから舌を出す様に言われた時に、凄く驚いた顔をされて、何回も同じ様に舌の写真を撮った後に、ようやく「君が舌を伸ばした時に、左に大きく曲がって居るんだよ。ほら」とPC上に写った写真の私の舌は有り得ない位に左に大きく曲がって居ました。

医師は難しい顔をして、「こういう風な舌の場合、脳梗塞とか脳関係の病気でよくなるんだが…」と一人言の様に呟いて居ましたが、父も脳梗塞、末の弟はくも膜下出血になって急逝したり、麻痺になったりとして居たので、父と同じ脳梗塞は嫌だな…とだけ。

そして一昨日、直ぐ下の弟が郵便物を取りに来たのですが、いきなり私の通帳を管理するから渡せと言い出し、B型作業所にも自分(弟)がOKを出すまでは、通えない様に責任者の人に伝えて居る、人間は3食食べるのが当たり前なんだから、自宅アパートに戻っても食べろとか言い出しました。

B型作業所に行く時は通勤通学ラッシュが嫌で(パニックになる)、5時起きしてシャワーを浴びたら、インスタントコーヒーを飲むのがやっとで、バスを降りたらB型作業所へひたすら歩いて、午前中は歯科アンケート入力。

お昼ご飯も主菜が2つもあるので、最終的にはかなり量を減らして貰って居ました。

午後はLINEイラストを描いて、気付くといつも最後の一人。

帰りはB型作業所から、すすきのまで歩いて自宅アパートへ着く頃には疲れ切って、眠剤やいしやまクリニックから出された薬を飲んたら気絶寝をして居ました。

希死概念やカロリー及び成分チェック、拘りの強さは勿論の事、線維筋痛症等の病気の事を、弟は分かった風にして居たけれど、結局は何も分かって居なかったんだと、久し振りに座った眼と無表情、抑揚の無い喋り方で自宅アパートへ戻ったら、3食は食べるつもりは無い事と、希死概念は常にある事を伝えると、みるみる内に般若の様な顔になり、「気持ち悪い、吐きそうだ」を繰り返して、足音荒く出て行ってしまいました。

本人は嫌がると思いますが、気が短くて思い込んだら、視野が狭くなる性格は亡き父とそっくり。

自分だってまだ父が生きている時に、恨みつらみと自殺をほのめかす内容のFAXを何枚も実家に送った事や、心配した母が私と一緒に安否確認をしに行ったり、レンチンして食べられる物を段ボールに入れて置いて行った事を棚に上げて…っ!とカチンと来たのが、本音をぶちまけたトリガーになりました。

母曰く、弟はふた晩その件で気が昂り過ぎて、あまり眠れず、暫く実家には行かないと電話で言って来たそうです。

私も2日連続、酷くお腹を下してしまい、自主リハビリは一日置きかな…と思いつつ、今日から自宅アパートで少しずつ、片付けをして居ます。(意識を失った状態で発見されて、救急車で搬送されて以来)

ちなみに下した前日の晩ご飯。





肉でも魚でも、脂が多いと今は確実にお腹を下します。(´・_・`)

昨日、蒟蒻ゼリーのチューブタイプを100円ショップで買って来たので、それを晩ご飯にするか、残ったお粥…というより、重湯に近くなってしまったのを食べるか…です。(^_^;)