演劇集団プラチナネクスト 稽古場ブログ -22ページ目

演劇集団プラチナネクスト 稽古場ブログ

演劇集団プラチナネクストは、文学座が開設した「プラチナクラス」の卒業生が立ち上げた演劇集団です。

稽古場は、西新宿の「芸能花伝舎」に移って2週間半ほど経ちました。

「衣裳パレード」大道具、小道具搬入などで引き締まった稽古になったり色々ありましたが、あと1週間半ほどで中目黒の劇場へ移ります。

 

花伝舎に通いなれた稽古の帰りに、西新宿の街並みをあらためて見まわしたら、今更ハイテクオフィス街だったんだなと思いました。

あらためて立ち止まってみると、それなりに夜景が目を癒してくれるじゃありませんか。

街並み全体が忙しそうでもあり、・・・

 

右側、左側に、飲食店が並ぶ繁華街をみて、稽古場から帰るときの疲れに、落ち着いた癒しを感じるのは自分だけでしょうか。。。。。

 

(文責:小須田)

 

 


だんだん、
昭和22年(1947)ぽくなって来ました
◯◯役の星さんと、
久しぶりのツーショット😅
左より敬称略で、
「照明助手」石坂「照明」古宮
「舞台監督」道場「演出」西川
( 文責 岩 井 亮 )
鏡に写っているのは、◯◯役の星さん😅

ところで、戯曲「速水女塾」作者の岸田國士は昭和23年の執筆から、後に当時”演出覚え書”を残しています↓

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 特に文学座のため、この作品を書くについて私の考へたことは
一、なるべく文学座の俳優全員に配役が行きわたるやうにしたい。
一、俳優の持ち味とか、柄とかにあまりとらはれず、むしろ個々の俳優の表現能力に対する私の予想に応じ、

  その素質のなかに考へられる新しい領域を開拓できるやうな人物を作りあげたい。
一、役の軽重といふことについての公平は特に無視しても、場面場面の効果をあげられるやうにしたい。
といふやうな事柄であつた。  (文学座への愛があふれていますね)

 

当時演出を担当された久保田万太郎氏の言葉をここに引用させていただく。
「人それぞれの姿、人それぞれの生きてゐる姿、かれらはかれらのその生き方を肯定してゐる。……いいえ無理にもそれを肯定しようとしてゐる。そのをかしさ、おもしろさ、わたくしはそれを舞台に描きだしたいと思つてゐる。となつたときわたくしは、相馬と登志子との生き方にのみ重点を置いてはいけないのである。」
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桃子「すこし渋皮のむけた女教員がいると、むやみに俸給を上げろだなんて・・・」

秀策(翁)「穏やかならんことを云うじゃないか、たった一度、小浜先生の俸給のことでお前に注意したことがあるきりだ」

 

穏やかならんことの態度から、切り返しの流れの確認など(斉藤祐一先生)

 

 

桃子「それより、私の上履きがみえないんだけれど、誰が履いてったのかねえ」

平栗「さ、そいつは弱った・・・(探している)」 (ゴン!)

なにが起きた?

 

 

ちか(増田さん)「お暇をいただきたいんです。沼津のご別荘の方へでもやっていただければねえ」

登志子「あんたひとりがそうする訳にはいかないでしょう。愛作はどうするの、あんたの旦那さんは?」

ちか「旦那さんだなんて、いやでございますよ、奥様」  (平凡な会話だが・・・)

 

 

(文責:小須田)