「門」夏目漱石
★★★★☆
「三四郎」(感想はこちら)、「それから」(感想はこちら)に続く三部作最後の作品。
三部作といっても続きものってことではないようです。
主人公の名前も違うし、環境や設定も違います。
しかし、「三四郎」はその後どうなったんんだろうか?というのが「それから」で、「それから」はその後どうなったのだろうか?というところからこの「門」になっているようです。
ちなみに、タイトルの「門」は漱石の弟子たちで決めたようで、本人は
「一向に門らしくなくて困る」
とこぼしていたそう。
基本的には夫婦のお話なんですけど、この主人公たち夫婦が凄くいい感じで良かったです。
かつての親友の妻であった御米と結婚した宗助はひっそりと暮らしていた。
弟の小六が受け取るはずの父の遺産に関して、小六から再三にわたってよろしくやってくっれと頼まれているのも関わらずのんきに構えていた。
結局、小六を家で引き取ることになり、一緒に暮らすことになる。
宗助の住んでいる家の大家である坂井とあることがきっかけで親しくなった宗助は頻繁に坂井の家を訪問する仲になるが。実は坂井が以前の親友で御米の元夫であるや安井と親しいということが判明する。
安井に現在の生活を知られなくない宗助は悩みに悩んだ末、鎌倉で参禅することにするが・・・・・
といった内容です。
この小説凄くおもしろいんですけど、終盤に急に宗助が参禅する場面は
おや?
ってなりました。
えらく話が急だったもんで。
文庫本の解説にも、この件に関しては描かれていて、このシーンはあるために失敗作といわれているとかなんとか。
失敗作ってほどではないような気がしますが、確かに鎌倉はなくてもよかったような気がします。
小説の冒頭、宗助の神経が少々まいっているという描写でこんなくだりがあります。
いくら容易な字でも、こりゃ変だと思って疑ぐり出すと分からなくなる。この間も今日の今の時で大変迷った。紙の上へちゃんと書いて見て、じっと眺めていると、なんだか違った様な気がする。
字って不思議で、見ればみるほど
「あれ?この字ってこんな形だっけ??」
ってなることありますよね。
こーゆーのって「ゲシュタルト崩壊」とかいうんですよね確か。
宗助は自分だけがそうなのかな?って思って妻の御米に
「御前はそんな事を経験した事はないかい?」
と尋ねるのですが、御米は
「まさか」
と答えるんですよ。
いやー、これってあるあるだと思うんですけどねぇ。
しかし、この夫婦の空気感凄くいいんですよ。
日曜日に天気が好いと御米は宗助に対して
「ちと散歩でもいってらっしゃい」
と言い、雨が降ったり、風が吹いたりすると
「今日は日曜で仕合せね」
と言うんですよ。
なんか、こののんびりした感じがいいです。
いい夫婦だなぁ、って思いますね。
しかし、この夫婦には子供がいないんです。
子供には恵まれず、今まで三度ほどチャンスがあったんですけど、全てだめだったようです。
割と最初の方のこんなシーンで子供に感することが出てきます。
宗助がおもちゃを買ってきて一人で楽しそうに遊んでいると、下女のお清がめっちゃ笑ってて、それを不思議に思った宗助が
「なんだって、あんなに笑うんだい?」
と御米に問うと
「貴方があんな玩具を買って来て、面白そうに指の先に乗せていらっしゃるからよ。子供もいない癖に」
という返答に、宗助は
「これでも元は子供が有ったんだがね」
という返事をするんですよね。
この返事に対して、御米は返事をしません。
ここで、子供でなにかあったのかな?って思うわけです。
子供がないにしろ、他人の嫁を奪ったにしろ、この夫婦は観ていてとても幸せそうに見えますけどね。
しかし、漱石の小説は三角関係がテーマになっているものが多いですね。
なにか、そんな経験があったんでしょうか。
ちなみに、この小説には日本で初めてのある表現が使われたそうです。その表現とは
肩が凝る
というもの。
日常的に使われるこの「肩が凝る」という表現を最初にしたのがこの小説という説があるらしいです。
そのシーンがこちら。
頸と肩の継目の少し背中へ寄った局部が、石の様に凝っていた。
この肩凝りという概念は海外ではあまりないらしく、欧米人は「肩が凝る」という感覚が分からないらしいのです。
日本に漱石がいなかったら、日本人もこんなに肩凝りに悩まされることはなかったのかもしれませんね。
漱石の小説は一見小難しそうに見えるかもしれませんが、凄くおもしろいものが多いです。
この「三四郎」からの三部作はテーマが三角関係と分かりやすいので、普通に楽しめると思いますよ。
気になった方は是非読んでみてください。
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