「絶対安全剃刀」高野文子 | 渋谷宙希のブログ

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最近、友達が「高野文子おもしろい!」って言ってて、久しぶりに読み返してみた。

そして、

やっぱ凄い!

って思った。


男の自分が女性を理解するのは本当に困難です。

思春期の少女を理解しようと思ってもこれは普通に接しているだけでは、まず不可能に近い。

しかし、理解できないものに対し憧れのようなものを感じるのも事実。

少女という存在の不可思議さに魅力を感じずにはいられない。

高野文子の「絶対安全剃刀」を読むと、そんな少女特有の不可思議な感覚がなんとも鮮やかに描かれている。

正直言って、男の自分がこの漫画をちゃんと理解できているのかは正直言って自信がないですが、この漫画を読むとますます少女というのは不思議で、そして、愛すべき存在である。って思えるのですよ。(ってなんかこう書くとロリコンみたいだな・・)

この作品集の中にある

「田辺のつる」

という作品は82歳のおばぁさんを少女として描いている。

女性の中には年齢に関係なく少女性というものがあって、82歳のおばぁさんの中に生き続けているような感覚が描かれている。

この作品の凄いところは、少女の姿に描かれているはずのつるばぁさんの姿が最終的にはおばぁさんに見えてくるところ。最後のページで階段を下りているつるさんの姿はあきらかにおばぁさんだ。でも、少女として描かれてるんだよ。

高野文子は物語も凄いけど、やっぱ絵も凄いなぁ~って改めて実感。

他にも

「うらがえしの黒い猫」

という作品も凄い。

少女の持つ空想力の偉大さと、ある種のアンビバレンツな感覚を美しく描いている。空想の中の猫に対する感覚はなんというか男の自分からは理解しづらいものがある。少女特有の感覚なのではないか、と思ったりする。

そして、作品集の最後に収められているのが

「玄関」

この、作品では二人の少女の微妙な距離感の中にある、やはりアンビバレンツな感情。それから、少女の持つ少し残酷な感覚を、なんだかよくわからない不確かな感覚として、みずみずしく描いている。
夏の日差しが眩しい、どこか懐かしい感じのする日々として。


少女の感覚というのはやはり男性にとって永遠の謎であり、だからこそ男たちは神秘的に感じ心惹かれるのだろう。

少女の感覚ということで、好きな小説にジェフリー・ユージェニデスの「ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹」という作品がある。映画「ヴァージン・スーサイズ」の原作といったほうがわかりやすいかもしれない。

この小説は、少女たちに淡い恋心をいだいていた少年たちが大人になり、彼女たちの自殺の原因を調査する。といったストーリー。

物語の冒頭で、五女で13歳のセシリアが自殺未遂を起こし病院へと運ばれる。男の医者がセシリアにこんなことを言う。

「こんなことしちゃ駄目だろ、うん?きみはまだ、人生、いかにつらい目にあうかがわかるほどの年にもなってないのに」

その言葉に対してセシリアはこう言った。

「でも、これははっきりしてます。先生は12歳の女の子だったことはなかったでしょ」

やはり少女というのは永遠の存在です。

年齢なんて関係なくて、女性は全員少女です。

だから、興味は尽きません。

高野文子の漫画は文学的であり、哲学書のようでもある。でも、漫画でしか表現できないような微妙な少女の心を描いている本当に才能のある作家だなぁ、と久しぶりに「絶対安全剃刀」を読んで感じました。

興味のある方はぜひとも読んでみてください。





















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