同調するだけ会話 | ままごと生活

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ネガティブな日々の雑感と、ままごとのようなハンドメイドやライフワークと。

姉が“マダムジョーカー”という漫画を読んでいて
ここ面白いよね、と言ったのが、


「主婦の会話にアドバイスや意見はいらない、
ただの自慢だから。」という風な場面。


へぇ?そうなんだ?面白いね!

という姉に私の心はぐさっ!

そう、私の会話は、
まさに人の話に同調するだけの会話法です。


そんな会話の仕方をするようになったのには
二十代後半くらいから。


それまではどちらかというと
「人の話に否定的に答える」方でした。


特に、人が話す愚痴、悩みに対して。


それは今考えると「うわさ話」や「悪口」ではなく、
本当に理不尽なことに遭遇した場合に
「こんなことがあったの!」と
その面白く無さや腹立たしさを
発散させてるだけのことが多かったのですが、


私はまぁ「偽善者」で。


私の目の前にいる
私に話しかけている人、ではなくて、
「その場にいない人」を
「褒める、かばう、立てる」癖がありました。


「聞いてよ、こんなことがあったのよ!」に対し

私の返事は

「でもさ、それはさ、きっと相手の人は
悪気は無かったんだよ。
相手の人の身になってみればさ・・・」

という感じ。


かなり長い間そういう風な話し方でした。


でもある時、人から、

「こちらはこういうことがあったっていう事実や
こう感じたという気持ちを言ってるんだから、
少しは同調したり受け止めてほしい。」
と言われ、


あ、そうかと気づきました。


私の会話法で
気持ちが良いのは私だけだった。


あぁこの話し方、
私は母に対してもしていた。


母は、ちょっとした愚痴や理不尽な出来事を
受け止め貰えず、
それどころか
愚痴を口にするのを封じるような私の言い方に
どれだけ傷ついてきただろうか・・・。


それからは意識して
人を否定するような言い方をしないようにしてきたつもりだけど、
極端に走りすぎたらしい。


今度は同調ばかりで
話を発展させられない。


私自身の話しがただの独り言と変わりなく
何のオチも内容もないものだから、
「へー、そうなんだ」で終わらせられても構わないようなことが多く、
返ってアドバイスやご意見を頂くと
え、そんなに本気で悩んでいたわけでは・・・と困ってしまうことがよくある。


今の私の会話の基本は、
「当たり障りなく」。
できれば
会話がないと気まずい隙間時間ぴったりで終わる会話。


こんな実も心もない気持ちは、
人から見透かされてしまって当然ですね・・・。


姉は私とは全く逆。


姉はアドバイスの塊。


それはそれで傍から見ていると
ちょっと心配です。


相手の年齢やキャリアとか全然考慮してないように見える。

例えば料理や家事の話。


相手は年上で何十年も主婦している人に、
「私はこうしているああしている」とか
「あれいいよ、これいいよ、こうしてみたら
ああしてみたら?」とか
余計なお世話じゃないかと思う。


もし相手の方から
「どうしようかな」なんて言ったとしても
本気じゃない、ただの話の流れかもしれないから、
「そうねー、でもあなたに分からないのに
私にわかるわけないよー。」くらいに
一度は軽く流したほうが良いんじゃないかな・・・。


年下や素人からアドバイス貰って
嬉しいわけがない。


私には二人姉がいるけど、
どちらも「いい人」すぎる、というか
人の心の襞をあまり考えていない気がする・・・が、


姉たちからみたら
私は「考えすぎ」らしい。


まぁ「引き寄せの法則」ってヤツで
姉の周りには

相手が誰であろうと
有用な意見は大歓迎、な人が
いっぱいいるのかもしれない。


自分の意見が言えるというのは大事なこと、
また大人として当たり前のことだろうし、
その意見をもとに会話を発展させられるという
いいことばかり、なのかもしれない。


書いているうちに
私は人の心の襞を気にしているのではなく
ただ単に
私の卑屈な目に
私の卑屈な心を映してしまっているだけだという気がしてきました。


謙虚と卑屈は別物だね・・・。