おはようございます。

 

通りすがりのヒーラー光風(みつかぜ)です。

 

今日から、天気の祈りの記録を残していこうと思います。

 

 

今日視た場所は、北海道の内海湾付近の海中と、北海道東照宮です。

 

最初はあまりよく見えず、そして本当にお天気と関係がなさそうだったのでスルーしようか迷ったくらいでした。

 

でもきっと何かある!と思い、根気強く祈っていたところ、思わぬ方向に進んでいったのです。

 

簡単なメモ書き程度ではありますが、経緯を書き残しておきます。

 

みなさまが実践される際の参考になればと思います。

 

天気の祈り2025.08.14

 

気になった黄色の点部分をリーディング。

 

溺れる人の姿を視る。(現代人)

 

祈りを捧げると、その人は海から救い出され、北海道東照宮へ魂が呼び寄せられていった。

 

 

溺れていた人の魂は赤子へと姿を変える。

 

神の腕の中に抱かれて泣いていたが、そのうちすやすやと指を咥えて眠り始めた。

 

赤子を抱いていたのは、西洋の白いローブを着た女神。

 

「救ってくれてありがとう」と微笑んだ。

 

「天気について、わたしたちも協力しましょう。時折、空から見守っていてください。Amen」

 

女神はそう言って十字を切ると、東照宮の周りを取り囲む森の中に消えていった。

 

東照宮は徳川家康公が御神霊とされています。

 

そのため、わたしが視た女神は、東照宮が建てられる前の時代に、この地を治めていたカムイのひとりなのではないかと考えています。

 

 

 

✦神社仏閣に興味がある方に向けて、北海道東照宮の歴史を紐解いていきます。


北海道東照宮の歴史

函館東照宮(北海道東照宮)は、古くは日高の等澍院(とうじゅいん)という由緒あるお寺に祀られた、徳川家康公の御神霊が始まりとされています。

 

等澍院は、江戸幕府が蝦夷地(現在の北海道)を直轄地としていた時代に、幕府の保護を受けて栄えた「蝦夷三官寺(えぞさんかんじ)」の一つでした。

 

このお寺は天台宗のお寺で、東照宮の御祭神が山王一実神道(さんのういちじつしんとう)という、神仏習合の形でお祀りされていたと考えられています。

 

歴史の記録には、函館奉行所の拠点である五稜郭が完成した1864年(元治元年)に、五稜郭の鬼門(きもん)、つまり魔が入りやすいとされる北東の方角を守るため、等澍院から函館の地に東照宮の御神霊が迎え入れられたとあります。

 

この時、村の名前も神山村と改められたほど、この出来事は重要な意味を持っていました。

 

天皇から授かった御神徳と函館戦争の試練

この御遷座の際、特別な出来事がありました。

 

それは、仁孝天皇が自ら書かれた「東照大権現」の勅額が下賜されたことです。

 

これは、皇室からの強いお力添えがあったことを示しています。

 

そして、お祭りの日には、皇室の安泰や将軍家の武運長久、そして人々の平和と幸せが熱心に祈願されていました。

 

戦国時代を終わらせ、平和な世を築いた家康公の御神徳に、当時の人々がいかに大きな希望を抱いていたかを感じることができます。

 

しかし、明治2年の函館戦争では、砲火によって社殿が焼失してしまいます。

 

御神霊だけはなんとか守り抜かれ、その後は函館市中を転々としながらも、信仰の灯は絶えることなく受け継がれてきました。

 

新しい地での再誕

そして平成4年(1992年)、地元の崇敬者の願いにより、函館市陣川の地に御遷座され、社名も「北海道東照宮」と改められました。

 

幾多の試練を乗り越え、御神霊を守り抜いてきた人々の熱い想い。

 

北海道東照宮は、ただの歴史的な場所ではなく、人々の深い願いや強い祈りが込められた特別な場所であると言えるでしょう。