こんばんは。
お疲れ様です。
とりあえず搬入してきました。
後日、新作を完成させて再度、搬入させていただきます。
他の作家さんの作品を見て刺激を受けて帰ってもきました。
うーん、でも、ちょっと作家さんからほとばしるような力を感じなかったかも。
兄貴よ、こちらもプレゼンテーションの場の1つになるんだよ。
斜に構える訳ではなくて、私の今年度の新作が最初に封切られるという場所になるからね。
プレゼンテーションの場で発表させていただいて、プロモーションをかけて、と段階を踏んでそうやって仕事を取ってくる世界なんだよな。
そりゃぁ、能力に覚醒できない、交渉能力が身につかないでは、鳴かず飛ばずということになるでしょうよ。
自分が悪い。
私の場合だと、美術館にしても原画を見ていただいて判断してもらい、交渉をすることになる。
私が出版社や美術館との交渉をブログに書いた時は周りはビッグマウスという言い方をしたけれども、私は出版社や美術館との交渉を書き出してからそもそもコンセプションやクオリティーなどは変えていない。むしろクオリティーは上がっている。ハッタリなどはなにも使ってはいない。交渉については勉強している。
原宿は人でごった返してました。
なんでこんなに人が多いの?、とみんなに話したら卒業式とか終了式を終えたからだよ、と言われました。
なるほど。
そういえば行く時に京王線で人身事故があったし、帰りに山手線で不審物が発見されて電車が緊急停車しました。
今日、帰宅してから1リットル、水分を摂取しました。
今、Harukaが来ています。
チェンさん、倒れたんだ、とショックを覚えています。
浩司さんのお母さん、どうしようもないね、と言いました。
で、今日、Harukaが来る前に、自分の仕事のことで実家のジジイの携帯に電話をかけたら慌てて着信拒否にしてました。
ますます、どうしようもないね、とHarukaが言いました。
家の中に閉じこもっているよりは1歩、外に出て街や文化に触れるのも良いかもと思いました。ジジイは小学校の時の図工の先生が自分史上最高のアートだと言うけど果たしてそうなのかな。私にはそうは思えないけど。その図工の先生って、ものすごく枯槁的(ここうてき)で廃退的(はいたいてき)な表現をされてたと思うんだよ、ジジイの好みとか決めつけかたから言ってさ。
たとえばこんな(↓)感じとか。
こんな(↓)感じとかをジジイの小学校の時の図工の先生は鉛筆やチョークで朴訥に描いていたと推察できる。この2点に関しては枯槁的、廃退的な中にも先人の英知が凝縮されていて斬新と言える。ジジイの小学校の時の図工の先生に斬新さは一片もなかったはずだ。調べさせてもらったけど、その先生は青森の片田舎の出だったからね。この2点のような遺跡は知らなかった。
ジジイに言わせてもらうと、こういう表現ってのは誰にでも描けるんだよ。私も描いてる。こういうの(↓)とか、
こういうの(↓)とか、
こういうの(↓)とか、ね。この3点に関してはテクスチャーとしての独自の新しい技術を使っている。ただ、1こと言わせてもらうと、すぐに描けちゃうものは、すぐ飽きられる。
着信拒否の問題に関しては明日、マコト・オジさんのところにお電話します。
マコト・オジさんが着信拒否にしたら息子さんのシンヤくんにお電話します。
実家のジジイの着信拒否についてはマコト・オジさんから方法を聞いてるからです。
ジジイ的には、私とHarukaが実家の負債の300万円を出してあげたことを不快に受け取っています。
不快もなにも私とHarukaが実家の負債の300万円を埋めた、と伝えたら『関知しねえ!、関係ねえ!、うううう!』の百点張りだったじゃないかよ。
別にお金を返して欲しくて言ってる訳じゃなくて一応、報告だから、と言ったところで聞く耳を持たなかったじゃないかよ。
Harukaにデミ・ハンバーグとクリームシチューを作って白米と生野菜を出してあげました。
カップラーメンも食べたいというので作って出してあげました。
Harukaは私の体を心配してます。
今日、Harukaは21時頃に帰る予定です。
自分の仕事のことでオフクロにお電話もしてますが出ません。
ジジイの聴力で1階のお店の電話が鳴っていることは聞こえてるんですけどね。
オフクロに『1階の電話が鳴っているよ。』ということを意図的に伝えていません。
自分の仕事のことと言うのは私の目から見てギャラリー原宿に良い作品が1作品あるから見にくるのも良いんじゃないかということです。
あと、「藍にいな」さんの個展がいいと思うから行くのも良いんじゃないかということです。場所は神保町です。土地のキムラさんに車を出していただいて行ってくるということです。
私は今年、「春の風」でも個展をするから他の作家さんの人物画を見ておくのもいいんじゃないかということです。
「春の風」は今年、10作品、描く見込みです。メタリックとかラメとか顔彩とかソフトジェル・メディウムとかホルペインのクロマパール・イエローとかを使うのは私も他の作家さんと同じです。ただ私はユーチューブに作品のアップはしないという違いでしょうか。
下記の「春の風」の新作の1作目はまだ、ほとんどといって完成していません。当時、実家にお金を足してあげてたのでメタリックとラメと顔彩とパールの染料が買えませんでした。ほとんど塗り込んでさえいません。兄貴がカッターで絵を1部、壊してもいるので絵の修復もしなければなりません。
兄貴よ、2つ上の絵を描かれてらしてる「kaiteki ART」さんたちプロ中のプロの作家さんたちの中で私は闘って行かなければならないんだ。どれほどの自己肯定感の中で闘っているか解ったか。まぁ、敷き詰められるスペースがある限り、向かって行かないとよ。自分は人物画家じゃないから、というのは言い逃れでしかない。自分が負けたら負けを率直に認めてまた昇華して高度になって行く世界なんだよな。私のそういう部分にチェンやYUCOさんは期待しているんだと思う。私の絵を壊すという方法じゃなくて、自分の力で闘って勝負しろよな。
話は変わって。「春の風」は南町田グランベリーモールのスターバックスさんなどでの展示も視野に置かせていただいてます。「春の風」は絵も特殊なんですけど、額装もカスタマイズしてちょっと特殊な出来にします。本業の作品については美術館と交渉させていただくとかね。出版社が取り合わないというなら違う方法を考えます。「春の風」は10作品とはいっても、至極、濃いパッケージになることが予測されます。もう7作品の資料は整えています。男性のパースで女性を描くという趣向と、妖精や精霊の象徴するテーマカラーを決めて人物に自由に反映させるという趣向と、人物に具体的な年齢設定を設けるという趣向は面白いと思っています。
「春の風」は3作目までで1つのくくりになっています。4枚目の資料はこちら(↓)です。
私が最初に描いた「春の風」は凡庸の局地でした。しかし企画力じたいの高さに目をつけたのはチェンです。田島らしいコンセプトにまとめあげて、2つ、3つ、不動のパースを付随させたらおのずと絵が動き始めるとチェンが言いました。実はね。
ちなみにチェンの刷新が入って描きあげた2枚がこちら(↓)と、
こちら(↓)です。当時ですでにメタリックとラメは手法の主流ともなってました。油絵は変わらず不動の手法です。
それが2018年とかの話だったかな。2018年にチェンとこれからの展望を語り合いました。実家での介護を終えて、2018年から6年経った現在、当時の展望を実現してもまったく色褪せないです。チェンの考察というのは不変的に真理をまっすぐ行く人たちの域に達していると私は感じます。私のバディーはチェンしか居ないと感じています。なにより、チェンは実り豊かな男です。
今回、チェンは絶望もしたと思います。でもコブシにカットした私のテクスチャーを握りしめていたことを聞き、ごくわずかな可能性を信じていることも知りました。いえ、当然のごとく我々の業界はごくわずかな可能性しか与えられていないです。それを遂行するかしないかは自分の決断1つです。
私のたとえとかで可能性が低いという話だと、美大出身とか美術学部出身の自己顕示欲強めの理論で描き詰めるタイプのかたたちからは、ものすごく嫌がられるんですよ。お前にここまでの鉛筆の使い方ができるのか、とね。言ってることは解りますけどね。自己顕示欲強めの理論で描き詰めるかたたちの絵って私から言わせると全体のバランスで見ると絵としての折衷の悪さが際立つんですよね。1箇所は突出しているけど、1箇所はズレているとかね。まぁ、絵としてしっかりとしたものを描きあげていれば、それが表舞台に出て行くワケで、デッサンとかで骨肉におとしめ合う必要もないと私は思うところです。そういったかたたちからは私の場合だとテクスチャーは作戦的な作業で障害者固有の絵だと言われがちです。テクスチャーは手描きなんですよね。引き出し的には描写(デッサン)並みにあると私は感じてますけど。100歩、譲って障害者固有の絵だとして、私はテクスチャーの作品で健常の世界の協会の入選に入っております。
一応、これ(↓)くらいの走り書きは描いてます。
色塗った感じです(↓)。
田島 浩司