作業開始 | 田島浩司と作品―表現する―

田島浩司と作品―表現する―

カタログ&パンフレット

こんにちは。

 

 

 

 

 

兄貴が私のことを明らかに舐めていますし、ギャラリー原宿のことも舐めてかかっているので、ちょっと本気を出しちゃいましょう(笑)。

 

 

私が使う手法はなにも我流だけでもプロの水彩絵師の手法だけでもないんですよ。

 

 

ギャラリー原宿のことも私が選び出したギャラリーである事実に誇りを持ってます。

 

 

兄貴が『Kaiteki Art』さんのことをフィクチャーしてますけど描けるという人は数います。手法がたがっているというだけです。

 

 

なんかね。私がSNSで作品の画像を載せるとそれが私の100パーの伸び代だと兄貴が見当違いをするのでしばらく画像をSNSに載せなくても私は構いません。11月3日にはギャラリーのE-102という部屋に私の作品の展示が為されております。

 

 

兄貴の欠点は慧眼がないことです。可哀想ですが『己の力で見極める』という能力がありません。インターネットというものをマニュアルにしての手法を転用し続けています。インターネットはオンラインになっていれば誰もが見ている物ですし、発信者がインターネットで手法の種明かしをしてもその発信者固有の特性までパーフェクトコピーされない自負を持っているから手法の種明かしをできるのです。

 

 

兄貴は真一性に携わる才をなにも持っていません。

 

 

それを私が今、描いている絵で証明しましょう。

 

 

無論、私の到達点は兄貴に魅せるところではありません。

 

 

作品を見てくださるかたたちに新鮮な発見と感動を送り届けるところです。

 

 

 

 

 

兄貴よ。デッサンや描写ばかり繰り返しても下記のような作品にはたどり着けないんだよ。最低限、形で本質をとらえるという所から脱却して「これぞオレの審美眼だ!」と叩きつけられる真一性がないとな。まぁ、うちのジイさんに頭を抑えられてる程度ではダメだな。自分の父親を超えていく体感の1つもしないとな。皆、そうやって男になって行くんだ。ジイさんが生きているうちにお前の男としての真価をジイさんに見せつけてみろ。ジイさんはそういうものだと判別する力はまだ持っているぞ。真の意味で父親を超えることができたら世の大概のことは超えていける。なぜ、父親は超絶的に超えられないものだと言われているかわかるか?。父親の父性、父親の愛だけは超えられないものなんだよ。

 

 

 

自分のプロフィールのアイコンにこの程度の埋め込み方しかできないのでは話にならんな。これってかの有名な大聖堂をかの有名な写真家が撮影した画像だろ?。まったくのお前のコンテンツではない。お前らしいといえばお前らしいけど。

お前がなぜアウトかと言うと、2ちゃんねるで私が生活保護を受けているというデマを拡散したことと、2ちゃんねるで私が脳障害者であることを自分本位にディスって拡散したことだ。謝ってもオレは許さんぞ。お前が自立できたらお前の事情くらいは悟ってやろう。あ、そうそう。実家でバッテリー機の充電をする行為をやめろ。ジイさんが『なんでこんなに電気代がかかるんだ!』と驚いてたぞ。一応、ジイさんにはお前が実家でバッテリー機の充電をしているから実家の動力ではない家庭のほうの電気代が跳ね上がるのだとオフクロを通じて説明はしておいた。実家で電気泥棒をしているのがお前の実像か。部屋で自転車発電はできないのか?。音も静かだし設置工事費も安い。なによりもエコだぞ。

 

 

 

 

 

では作業を開始します。

 

 

          田島 浩司