享受 | 田島浩司と作品―表現する―

田島浩司と作品―表現する―

カタログ&パンフレット

こんにちは。

 

 

 

 

 

私は夕べにHarukaの言ってくれた言葉が身に染みました。

 

 

嬉しいです。

 

 

いま彼女は私の出展料を支払ってくれてます。

 

 

その1万円に込められた思いを考えました。

 

 

1万円分も頑張ってきてない情けのない自分じゃないか、と思いました。

 

 

「ネットで悪く書かれてこの辺が潮時で終わりでいいだろう」という所が自分にありました。

 

 

今回は新作を出展しない気持ちでいました。これには理由もあります。昨年の展示で私の展示ブースだけが破壊されたので『ここまでやっちゃっていいだろ。』という先入観を壊す側に植え付けさせてしまっていることです。

 

 

また、いつ、同じことが起こらないという保証はありません。

 

 

でも今回は新作を出展することにします。

 

 

今日も仕事をしております。

 

 

実家で脳神経がオーバーヒートを起こし続けた状態だったので少し休まなければ…今日1日は静養しなければと思っていました。

 

 

 

 

 

私の直近ではない周囲でHarukaの存在は信じてもらえてさえいませんが、彼女と共に生きている時間は幸せなのだと思います。

直近ではないとは言っても今更、チェンや道場の子供たちや師範代たち以外とつながろうという気持ちにはなれません。私もその辺はシビアです。もし信じてもらおうとするなら真っ先にYUCOさんのところに2人でご挨拶に行ってます。でもその気持ちも失せました。「彼女は本当に忙しい」という私の言葉を信用してさえもらえませんでした。で、私は今月の初めになるまでYUCOさんがどこに住んでいるのかは知りもしませんでした。そこまでネットでの先入観を信じるならそれでいいと思っています。

 

 

彼女の存在を証明するまでもなく結婚したらネットでの報告も一応、させていただきます。彼女が身ごもった時、自分の代わりのアーティストなんて星の数だとも思っていました。育児がもしあって仕事のことを考えたら絵の世界でやっていく自信というものは正直ありませんでした。その時に眠る時間を少し与えてもらえてさえいたら違う答えもあったと思います。2ちゃんねるが圧覚して眠れるどころではなかったです。勘違いしてる人は多いです。付き合い始めてしばらくして、当時、私なりに彼女のことを自慢したいという気持ちもありました。その自慢の仕方の表現が屈折もしていました。当時、道場の子供たちのことを見ることも始めていました。彼女と子供たちを残して自分は国家に突っ込んで行って本当にいいのかという気持ちに駆られていました。ドンの首ははねるという最終決断は変わらないにしても物言わぬ葛藤がありました。その葛藤は凄まじいものがありました。決して正しい判断だけができていた毎日の生活にはありませんでした。もし”あなたたち”が私の立場だったら、障害を負わせた国を許せてましたか?。死に損ないの体をどこまで回復させる自信を持っていましたか?。(自分の人生に)未来は持てましたか?。生きる懇望は持てましたか?。現実問題として毎日毎日どうやって障害のハンデをしのぎましたか?。普通に生活を送るだけでも並の神経の持ち主ならとても生きてはいなかったと私は思うのです。

 

 

Harukaと出逢った時、なんつうのかな…ときめきました。今もときめいています。私はよほどのバカなんだろうと思います。1人の女性のために第2の人生の計画を潰しました。尋常ではない体のハンデがあるのに世間の荒波に打って出て勝負をしています。私は自分の人生が良かったと思っていません。自分が一片でも救われた人間なら想い出も過去も残っているはずです。私の脳の記憶にはそのほとんどが残されていません。

 

 

           田島 浩司