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3月3日。
ひな祭りですね。
この年になると、もうお祝いなんてしませんが(とうとう今年もお雛様を飾りませんでした。今飾れば間違いなく猫の餌食。見るも無残な姿になること間違いなし)、子供の頃は、ちゃんとお祝いしたものです。
……蛤のお吸い物があったかどうかは記憶にありませんが。
ひな祭りを題材にしたお話も、沢山ありますね。
私が思い出すのは、小学生の頃にならったお話です。
タイトルが思い出せないのですが、多分、この「おかあさんの紙びな」で間違いないはずです。
戦争中の、食べるものの乏しい時代。
ある日、真っ白いご飯が食卓に並びました。
戦争中と言えば、真っ白いお米だけのご飯なんてあり得ない時代なんですね。
はっきりどのような食生活だったのかと聞かれても、一応、戦後生まれなのでよく分かりませんが……。
毎日お腹を空かせていた主人公は、その真っ白いご飯が美味しくて美味しくて、お代わりまで許されて、それはもう、満腹で幸せいっぱい。
その様子を、お母さんが寂しそうに見ていた。
そして、迎えたひな祭り。
お雛様を飾ってと言う主人公に、衝撃の事実。
あの日食べたお米は、大事なお雛様と交換して手に入れたものだったのです。
着物や家財道具、売れるものなら何でも売って、食べるものに変えていた時代。
「ほたるの墓」でも、そんなシーンがありましたよね。
同じように、雛人形も、お米に変わったのです。
子供心に、すごく複雑だっただろうなと想像しました。
お腹が空いて、毎日毎日僅かなご飯を物足りなく思っていた。やっと食べられた夢のようなご飯。
それが、何より大事なお雛様と引換えだったとは。
今のように、物に溢れた時代ではなく、人形もぬいぐるみもゲームも、当たり前のように誰もが持っていた時代ではなく。
女の子の何より大事な、年に1度の数日だけ飾って楽しむお雛様。
それが、満腹感とすり替わってしまった……。
食べてしまったお米は戻せないし、お雛様を買い戻すようなお金だって当然、ないのです。
人手に渡ったお雛様は、もう永遠に自分の元へ帰ってこない。
たったひと時の満腹感のために消えてしまったお雛様。
けれど、そのお雛様がなければ、元気に3月3日を迎えることだって出来なかったのです。
泣く主人公に、お母さんが紙のお雛様を作る。
そんなお話でした。(うろ覚えなので正しくない表現があると思いますがお見逃し下さい)
紙のお雛様なんて、ちっぽけなものです。
ちゃんとした形があって、綺麗な着物を着て鎮座するお雛様に比べたら、ゴミ同然です。
でも、お母さんには精一杯の愛情でした。
子供におなかいっぱいご飯を食べさせてあげたいと思う愛情。
そして、子供が失ってしまったものを、どうにか取り戻してあげたいと言う愛情。
子供の頃ですから、それが「愛情」と言うものだとは理解出来ませんでした。
でも、お雛様を失ってしまった主人公の悲しさと、それを癒そうとするお母さんの優しさが、妙に心に残っています。
教科書で習うお話って、意外なほど記憶に残っているものですよね。
習っていた当時は、勉強なんて大嫌いでどうでも良いと思っていたのに(笑)