- 松谷 みよ子, 味戸 ケイコ
- わたしのいもうと
内容(「BOOK」データベースより)
妹をいじめた同級生たちは、そんなことなど忘れて中学生になり、高校生になっていきました。
infoseekでこの記事 を見て、「わたしのいもうと」と言う本に興味を持ちました。
これは是非、図書館で借りて読んでみなければ、と思うのですが、記事内の内容、「妹をいじめた同級生たちは、そんなことなど忘れて中学生になり、高校生になっていきました。」と言うのを読んで、物凄く納得できるところがあります。
私は子供の頃、素直じゃないし、つんけんしているし、喘息でしょっちゅう学校を休むし、変に負けず嫌いなところがあったので、転校した学校でいじめの対象になりました。
クラスの女子全員に呼び出されてあらぬ疑いで責められたこともあるし、死ねと言われたこともあるし、バイキンと呼ばれて、同じ空気を吸うのがいやだと言われたこともあります。
本当に妙に負けず嫌いだった私は、疑いは晴らすし、信じてもらえなくても無視するし、死ねと言われたら言い返すし、バイキンと扱われたら同じように扱い返しました。(それもどうかと)
負けるか!
と思い続けていましたが、でもやっぱり、学校に行って一人も友達がいないのは辛い。授業中も休み時間も掃除中も学校行事中も、一人で「なんでもない」って振りをするのは結構、つらい。
どうにか友達を作ろうと、フレンドリーになると、やっぱり苛められてる人ばかりの集団になって、更に孤立し、周囲から偏見の目で見られるようになってしまった。
先生に相談しても、曖昧に笑われるだけだし、「先生に言われたから仕方なく仲良くする」対象と言うのもどうかと。
バイキン扱いされるたびに泣きたい気持ちでいることも、死ねと言われるたびに本当に死ぬ算段を立てていることも、毎日、朝がこないことを祈り続けていることも、誰にも分かってもらえないんでしょう。
だったら、分かってもらえなくていい。友達もいなくていい。喧嘩したり気を使ったりたまに嘘を付かれたり、別の友達と悪口を言い合ったりする友達って、きっといても疲れるに違いない!だったら私は、一人でいた方が楽に違いない!
友達いなくても生きていける。学校を卒業したら、会う機会もないただの他人だもの!
ほんの数年の辛さのために、一生をダメになんて出来ない。これは私の人生だもの!私には人に死ねと言われても生きる権利があるんだー!
……そんな具合で。
ちょっと捻くれて歪んだ学生生活を終え、新たな生活では普通に友人も出来て、大人になって随分な年月が過ぎました。
あの頃の自分は本当に素直じゃなかったし、可愛げもなかったなと実感しつつ、でもやっぱり苛められたことには納得いきません。納得いかないからと言って今更どうなるわけでもないので、それはそれでもう構わないのですが。
ある日偶然、その頃の同級生に会いました。
とってもフレンドリーに話しかけてきました。懐かしいね~!って。
私が胸ぐらを掴まれて、あれやこれやと言われていたのを一緒に笑って見ていた子の一人です。
適当に挨拶を返して分かれましたが。
ああ、そうか。
あれはあの人たちにとって、いじめじゃなかったんだ。日常生活の一つ、冗談の一つ、遊びの一つだったんだ。
きっと先生にとっても、生徒同士の冗談とか遊びとしか映ってなかったんでしょう。
その冗談のために、遊びのために、毎日泣いた私は一体何だったんだろう?
今となってはもう終わったことで、思い返して懐かしい、苦笑できる過去だから良いものの……。
今まさに、死ぬ思いでいる子供たち。
毎日泣いている子供たち。
家から出られない子供たち。
冗談が、遊びが、心にどんな傷を残すことでしょう。
大人になっても忘れられないことだってある。
一生、傷を持って生きている人だっている。
「いじめはダメ!」
言うのは簡単だけど、だったら、具体的にはどうしたら?
人の心の傷に気付いてもらうにはどうしたら良いのでしょう?