偽善と呼ばれる行為、それが疎まれる理由はなんだろうか。

誰かは言う。

誰もが誰かを救う事なんて出来はしない。

手を伸ばせるだけ伸ばす。それは身勝手で傲慢だ。

私は問うよ。

なぜ「救いたい」と思ってはいけないの?

なぜ伸ばせるはずの手を伸ばさないの?

私はそれが「出来る」と思うならしようと思う。

誰かの為に、自分の為に。

それに理由付けしたがる君らを理解出来ない。

私は私自身伸ばしたこの手を疎まない。

この手で救えるものがあるなら手を伸ばす。

伸ばした結果、この手が折れて、失う事になっても、かまいはしない。

身勝手で傲慢な行動の果てがそれでもかまわない。

「救いたい」

そう思って伸ばした手に私は笑ってさよならを言える。

そしてもう片方の手だって伸ばしてみせる。

笑ってもいい、憐れんでくれたっていい。

私は私に胸を張れる。

笑って胸を張れる。