2009年 06月 30日 [チューリヒ/コペンハーゲン 29日 ロイター]

 デンマーク保健当局とスイスの医薬品大手ロシュは、デンマークの新型インフルエンザ(H1N1型)感染者から、ロシュ製造の抗ウイルス薬「タミフル」に耐性を持つウイルスを初めて確認したと発表した。
 現在、同ウイルス感染患者の容体は安定しており、感染拡大もみられないという。

 保健当局は声明の中で「(今回発見されたウイルスが)公衆衛生への危険要因にはならず、インフルエンザ治療薬としてタミフルを推奨する姿勢に変わりはない」としている。

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これまで豚インフルエンザから変異した新型インフルエンザにはタミフルが有効だったが、WHOは「ウイルスが突然変異した」とみている。

一方、WHOの集計によると、29日時点の新型インフルエンザの感染者は世界全体で7万893人。前回集計(26日)に比べて1万1079人増加した。米国の感染者数が同6268人増えて2万7717人に達したほか、中国やフィリピンなどアジア地域でも感染が本格的に広がっている。

パブロ・ピカソ(Pablo Picasso,1881年10月25日 - 1973年4月8日)はスペインのマラガに生まれ、フランスで制作活動をした画家・彫刻家・芸術家。ジョルジュ・ブラック同様、キュビスムの創始者のひとり。ピカソは、20歳から「青の時代」として、青を主調に貧しい人びとを描く。25歳からパリに定住し、道化師、曲芸師を描く「バラ色の時代」を向かえる。その後、原始芸術の影響で、「ニグロの時代」へと変貌。ブラックとともに「キュビスト運動の時代」に入り、同時に「新古典時代」、「メタモルフォーズの時代」が続く。1937年、フランコ軍側のドイツ軍が、バスクの首都ゲルニカを無差別爆撃した。それに憤り、『ゲルニカ』を描いた。生涯におよそ13,500点の油絵と素描、100,000点の版画、34,000点の挿絵、300点の彫刻と陶器を制作し、最も多作な美術家であるとギネスブックに記されています。


プラツリ社員のブログ-ピカソ


■ゲルニカは白と黒、グレーだけで描かれているパブロ・ピカソのモノクロの作品です。ゲルニカはスペイン北部バスク地方の小さな町の名です。当時、内戦状態にあったスペインで、1937年、フランコ将軍を支援するドイツ空軍が猛爆し多くの市民がなくなりました。パブロ・ピカソはその暴挙に抗議の意思を表すため、同年開催されたパリ万博スペイン館に描かれた大壁画が有名なこの作品です。 原画は、縦3.5m横7.8mの大作です。
所蔵:ソフィア王妃国立美術館


プラツリ社員のブログ-ピカソ ゲルニカ

■ゲルニカの時代(1937年):ゲルニカ爆撃に怒ったピカソが、『ゲルニカ』のための習作『泣く女』などを描いた時代です。


「最も多作な美術家・パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)」の頁は こちら  です。
海外旅行のアメリカ・ボストン美術館やシカゴ美術館の絵画写真も同時に掲載中。

’85 阪神タイガース 優勝記念通行券 (阪神高速道路公団)

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■1985年、吉田が阪神タイガースの監督に復帰。
1番・真弓、3番・ランディ・バース、4番・掛布、5番・岡田らの強力打線(第2次ダイナマイト打線)が活躍し、特に4月17日の甲子園球場の巨人戦ではこのクリーンナップトリオが所謂バックスクリーン3連発を放って開幕ダッシュに弾みをつけた。
夏場まで阪神タイガースは首位を快走していたが8月12日に発生した日航機墜落事故で、当時の阪神タイガース球団社長だった中埜肇が急逝するという不幸に見舞われた。
訃報を受けた吉田は選手と共にユニホーム姿で中埜の霊前に優勝を誓った。
このシーズンは、強力打線に加えて中西清起、福間納、山本和行らのリリーフ投手陣も大車輪の活躍をみせた。
そして10月16日、神宮球場でのヤクルトスワローズ戦を終盤引き分けに持ち込んで阪神タイガースは見事21年ぶりのリーグ優勝を果たした。

1985年10月16日、阪神タイガースのセ・リーグ優勝が決まった際、ファンが道頓堀店のカーネル像を当時の助っ人のランディ・バースに見立て、店員に暴行を加えて制止を聞かずに担ぎ出し、胴上げの末道頓堀川に投げ込んだ。

懐かしい思い出ですね。本年は低迷していますがどうでしょうか?
「カーネル・サンダースの呪いのせい」でしょうか?


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