視線 | カメラマンの独り言

カメラマンの独り言

「カメラマン」「経営者」としての独り言を
だらだらと、そしてつらつらと書いています。

今日で卒業・卒園式の山場を超えた。

現在、撮影してきた写真やビデオの前処理段階なのだが放心状態…。

いろんな撮影がある中で卒園式は最も「気力・体力・集中力」のいるイベント。

長い時間カメラを支えていたため、右腕があがりません(涙)。

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さてさて、そんな中感じた事を、改めて記載してみようかと思う。

カメラマンとか、仕事とか言うより「個人的なエッセイ」という感じなので、構えず読んで下さい。

えと…、内容的には「某エッセイ」に既出です(笑)。

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何度も書いているけど仕事の関係で「幼稚園・保育園」に出入りすることが多い。

で、子供たちを見ているとホント「成長」が早い。

春先に入園したての頃は「お母さん」が近くにいないと何もできなかった子が、1ヶ月もするとすっかりみんなと一緒になって遊んでいる。

そんな我が子の状況を見て保護者は「感動」するんだろう。

で、以前こんな事があった事を思い出した。
確か入園式の時だったと思う。

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入園したての子供というのは、とにかくお母さんやお父さんから離れようとしない。

先生が呼んでもお母さんの所で泣いていたりする。

その時にお母さんが「ここにいて○○ちゃんを『ずーっと』見ていてあげるから、安心して遊んでおいで」って話しかけているのを耳にした。

その子は、ぐちゅぐちゅ鼻をすすりあげながら、先生やお友達の所に戻って行く。

お母さんはお友達と一緒に遊び初めたわが子を見て「もう大丈夫」と判断し、その場を離れようとしたが、なぜかその子はそれに気づき、狂ったようにお母さんの所に走って来た。

どうやらその子は、自分の背後から心配そうに見つめている母親の「視線を感じる事」で、初めて友達の輪の中に一人で入っていけた。

その時、その子は「母親の視線に支えられている」んだろう。

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「顔」の事をフランス語で「ヴィザージュ」、ドイツ語で「ゲズィヒト」という。

両方とも「見る」という「動詞」から派生した言葉。

表現方法で言えば、顔が「見える」とか「見えない」とか言うから、本来「顔は見えるもの」と思っているのではないだろうか?

ところが自分の顔を「じかに見ること」は不可能。

例えば鏡に映った顔は左右反対で、髪型を直しているときは「髪の毛」を鏡で見ている。

その時は「髪の毛を見ている自分の顔」は見えていない。

写真に撮られた顔は瞬間的なもの。

だから「時間とともに変化」している顔じゃない。

ビデオの場合もそう。当たり前だが「今のこの瞬間」を見ているわけでもなく、ライブであっても「モニタ」を通して見ているわけだから「じかに」じゃない。

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で、自分の顔が見れないのであれば、他人の顔は見えるのかというと、これがまた見えない。

まるで「物」でも見るかのように相手の顔を見つめることができるのは「相手が自分を見ていないとき」に限られる。

相手が自分を見て、自分も相手を見ると、相手の「目」を見ている事が多い。

それも相手の二つある左右どちらかの目に限られたり。

「好きな人」との事を思い返してみれば「見たいのに見られない」という経験はしたことがあると思う。逆に「見られている」って事に気がつくと、とっさに目線をそらしちゃったり。

そう考えれば、結局人間って、自分の顔も他人の顔もよく知らないようなんだ。

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自分も相手も、見る事も見られる事も出来ないはずなのに、人の視線を「嫌っている」のかというとそうではない。

特に子どもの場合「誰かに見てほしい」って思いが強い。

「愛する人」の視線だったら、「信頼している人」の視線だったりしたら、普段以上の力を発揮できたり、安心感を持つことができるからなんだろうと思う。

これは長年、多くの子どもと接していたので、実感として良くわかる。

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保護者が見られるようなイベント。

保育参観や運動会や発表会…。

その時、子ども達は、普段見せた事の無いような表情をする。

逆に言えば、保護者はカメラマンなどが普段見られない表情を、いつも見ているという事になる。

我々カメラマンは、保護者が普段見られないような仕草、表情を撮影して行ければいいのかなと感じた。

正直、子どもの一番いい笑顔を撮影できるのは「親」じゃなきゃ無理。

そこは親に任せて、親には見せない別角度からの良い表情をカメラに収めていくのが、カメラマンの仕事なんだろうと思う。

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で、「視線に支えられている」というのは自分も同じ。

やっぱり保護者参加型のイベントの場合、普段以上に頑張ってしまう。

人によって違うとは思うが、自分の場合は「良い所を見せたい」とか「緊張感」というのではなく「集中力」が極限まで高まる。

卒園式の場合だと「証書授与」の撮影時は、「呼名」以外の音が全く聞こえなくなる。

「狩り」をする時みたいな目つきをして、ひたすら獲物(すみません(汗))を狙うような。

これも全て「視線」に支えられているからかもしれません。

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何にせよ、無事に卒園できて本当におめでとうございます。

4月からは「ランドセル」を背負った後ろ姿を「視線」で支えてあげて下さい。

お子さんのこれからの益々の御活躍、心より祈念致します。

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と、真面目な話しをつらつら書いてしまったが…

園児達…、

あ、あのね…、

いくらお父さんやお母さんの視線に「支えられている」からと言って、張り切ってリハーサルと違う事、集合写真の時に「はしゃぎすぎる」のはやめて下さい(涙)。

保育参観や運動会の時だって、発表会の時だって…、今日だって…(号涙)。

普段では考えられないような「張り切り方」をするのはしょうがないとしても、それを撮影しなければならないカメラマンの事って分かっていないでしょぉ!(涙)。

殴られたり蹴られたりしても、一緒に遊んだじゃないかぁ!




なのに…、なのに…、えぐ…えぐ…(涙)。



…今週は集合写真が多く、本日留めを刺され、今、おぢさんは声が出ません。


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